ホームに戻る
2007年05月29日
文庫本というのは、大きさも値段も手軽で、本屋さんに来た人に「ちょっと買って見ようか・・・」という気にさせてくれるのがミソだ。
また電車や飛行機などに乗る時は、よほど面白い読みかけの本でもない限り、やはりバッグに入れるのは文庫本であろう。

それは英語の本でも同じことで、硬い表紙の単行本よりpaperbackということになる。

お蔭様で、拙著の文庫本も出版されてからすでに2年になるが、先日また4千部の増刷があったと集英社からお知らせを頂いた。
母が亡くなってこの2月で丸3年になるのに、まだお読みくださる読者の方がいらっしゃることに心より感謝している。


▲トップに戻る
2006年10月17日
この夏、集英社から以下のメールを頂いた。

「集英社文庫は来年30周年を迎えますが、これを機会にカバー背色を一新、書店での集英社文庫の棚を変えようとする企画があります。

デザイナーが背色9色をセレクト、作家の方にはその中からご自分の背色をお選びいただくことになりました。ブルー、紫、黄色、ピンク、緑、薄茶、黄緑、グレー、オレンジがその9色で、白は使えなくなりました」
と言うことで私はブルーを選んだ。

もう拙著を出版してからこの暮れで6年になるが、来年は背色が変わって本屋さんの棚に並ぶことになるようだ。


ありがたい事と思っていた矢先、あるお若い読者から以下のようなメールを頂いた。
昔「本は一度出版すると後は一人歩きしまうよ」と編集者の一人に言われたのを思い出す。

草葉の陰で母はどんな顔をしていることだろう。
「いや、恥ずかしいわ・・・」きっとそう言っているにちがいない。

彼女に送った返信と共にお読みいただきたい。


〜*〜

サンダース様

図書館でふと目について、読ませていただきました。
それから数年がたち、また読み返しました。

最初に読んだときは、お母様のその歳からは想像もつかないバイタリティに、またカナダという知らない土地での生活を面白いな、と思って読みました。
二回目は、お母様から考えればまだまだひよっこの私が、歳を理由にあきらめようとしたことを思い出して、また挑戦してみようかと、初心を思い出しました。

私は今20代後半でこれからどうやっていこうかと考えています。
歳なんて関係なく、本人がどのように過ごしていきたいのかが重要なのに、無意識にブレーキを踏んでいました。

私の母も独りなので、ずっと側にいてあげるのが親孝行かと思うこともありましたが人生の流れで生活の様態が変わるのは仕方のないこと。
そのときそのときに、一番いい状態で暮らしていければいいのだと肩の荷がおりました。

30歳までに、ということで、ワーキングホリデーに参加しようと考えています。
お母様のようにカナダで楽しく暮らせたら、と思います。

是非、敬子さんのこれまでのことも読んでみたいので、カナダへ行く経緯や生活などのこと、自伝としてでも、エッセイとしてでも出版してください。

最後に今頃になってお母様が亡くなられたことを知りました。
とても勇気付けていただいたので、感謝の気持ちは書ききれません。
ご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。


〜*〜

***様

メールを拝受いたしました。
拙著をお読みくださったとの事とても嬉しく思っています。
貴女のようにお若い方にも勇気をお与えるすることが出来たなんて、母が生きていたらとても喜んだことでしょう。

人は不思議なもので、どんなに若くても常に「もう歳だから・・・」とか「もう若くない・・・」とか思う傾向があるのですね。
でも若さとは誰に比べて「若い」のではなく、自分にやる気がどれだけあるかによって図るものではないでしょうか?

貴女はイギリスの詩人のウィリアム・ワーズワースという人を知っていますか?
日本でよく知られているのは「草原の輝き」と言う一編です。

『草原の輝き  花の栄光
再びそれは還(かえ)らずともなげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし』

本屋さんにあったら読んで御覧なさい。
きっと勇気が湧いてくると思いますよ。

たった一回の人生です。自分が信じた道を生きること!
貴女が幸せなら、きっと貴女のお母様もお幸せな気持ちになるでしょう。

お元気で。


▲トップに戻る
2005年4月1日
昨日集英社の堀田倫子さんから以下のようなご連絡を頂いた。

「『カナダ生き生き老い暮らし』、初速すごくいいです。11日目で33%という結果がでています。
このままいけば早めに重版できるかもしれませんね。

団塊の世代がもうじきドッと定年を迎えることになります。
過日出した「夫と妻の定年人生学」もよく売れています。

みんな老後をどのように暮らしたらいいか模索しているのでしょうね。
この世代はまだ本を読むので、そういう本の売れ行きに結びついているのかもしれません。」

すごく嬉しくこのeメールを拝読した。


〜*〜

また先日は船橋市にお住みのNSさんから:

「〜前略〜
何と気持ちよ、く勇気を与えてくださった事でしょう。
いま私は68才。3年前仕事を辞め、毎日自分の事だけに時間をつぶす日々がうっとうしくてなりません。

ほんらいならば毎日が日曜の私は、お母様のように海外に出られましたのに、眼の病気のため弱視となりました。夫と共にでないと海外にでることはとても不安です。

〜中略〜
お母様の生き方には、希望と勇気をたくさんいただきました。

〜後略〜」

というメールを頂いた。

ずっとお仕事を続けていらした方は、男女によらず定年になると“一日中自分のために使える時間”に最初すごく戸惑うようだ。

母も「こんなに自由時間があっていいのかしら?」とよく言っていたものだ。
そのたびに私は、からかい半分に「もういいのよ、お母様。いつまでもオフィスに年寄りがいたら周りが迷惑よ」と言ったものである。

「罪悪感にさいなまれる」とまで言っていた母だったから、そのくらい言わないと納得しなかったのである。

懐かしく思い出される母との会話である。


▲トップに戻る
2005年3月24日
先週の金曜日(18日)に拙著の文庫本の発売が開始された。

出版社がそこここで広告を出して下さっているようだ。ウェブの場合は
集英社文庫本
「立ち読み」コーナー
お陰さまで日本の友人から「見たわよ!」という連絡を頂く。

中にはこんな嬉しいメールを下さる友もいる。
『「祝いじゃ、祝いじゃ、文庫本の出版祝いじゃ!!」
「こっちの皆さん!あっちの皆さん!!そっちの皆さん!みんな、みんな読んどくれ!!」
「読めばあんたの老後が楽しくなるってもんさ!!」
何冊かみんなのために買って来ます。』


「集英社文庫目録」の同じページには、志賀直哉や椎名誠などの名が連なっていて誠に気恥ずかしい思いも感じている。

単行本に比べ小型でとても可愛らしい。いまやトレードマークになってしまった感さえある母のオートバイ姿のスナップショットが今回も表紙を飾っている。
単行本の時は、帯を取るとその部分が真っ白でちょっと間が抜けた感じがしたが、今回はバックの白地にグレーの横じまが入っていることで小さくまとまって素敵だ。

残念ながら今度は、ちょっとした手違いでメールアドレスとホームページのアドレスを入れ損なってしまったため、読者との直接のやり取りができない。
単行本の時は読んで下さった何人もの方たちが、気持ちの冷めやらないうちにと熱い思いをメールで送ってくださった。私は一人残らずすべての人に返事を送った。

それが後に日本で講演会をした折りに大きな助けになり、会場に来てくださった方が多かった。
今度はそのドッジボールができず残念だが、増刷にかけよう。「うわー、ずうずうしい!」なんて声が聞こえてきそうかな。(笑)

もちろん文庫本が出版されたことは心から嬉しのだが、私は同時にサイレント・リーダーにも思いを馳せたいと思う。

千葉に住むフリーランス・ライターの友人には精神障害を抱える弟さんがいるが、先日彼女の切実な思いをこんな風に書いてきて下さった。

「私は弟の問題もあり、母との関係がどうしてうまくいきません。母と弟の親密な関係から目を背けたいのだと分かっています。
敬子さんのお母さまへの思いを読んでいると、うらやましさでいっぱいになり、年老いて行く母なのに、どうしても普通にいたわる事のできない自分が情けなくなり、言葉を失います。
ご著書も読んでいるうちに自分への罪悪感でいっぱいになり本当は最後まで読む事ができず、メルマガでの紹介すらできませんでした。
ごめんなさい。
でもまた時間が流れ、きっと自分も周囲の状況も変化していくのかなと思います」


ありがとう。いつか貴女がゆっくりと心落ち着けて読んで下さる日があることを心待ちにしています。


▲トップに戻る
2005年3月15日
いよいよ集英社の文庫本が完成し、今週の金曜日(18日)の発売を待つまでになった

今日頂いた堀内さんからのメールでは、集英社文庫本の「立ち読み」コーナーに発売から1か月間内容の一部が掲載されるとのこと。

まずはここでご覧頂いて本屋に走っていただければと思っている。(笑) もちろんそれが可能なのは日本にお住まいの読者の方だが、外国の場合にはアマゾンからご購入いただくことになる(まだ発売前なので「在庫切れ」となっているので、ご了承いただきたい)。



さてもう一冊の「カナダのセクシュアル・マイノリティーたち」(教育史料出版会)も4月5日に出版される運びとなった。

取材を開始してから実に3年という長い年月を費やしたことになるが、やっと日の目を見るにいたった。感無量である。
「自分のことのように嬉しい」と先日親友がメールをくれた。

もうすでにこのホームページで何度も書いたように、マイナーな内容だけに処女作の「カナダ生き生き老い暮らし」のように、どなたにもお読みいただける本ではないかもしれない。

だが自分がゲイであるか否かということのみならず、多少なりともこの本からカナダという国の“人権に対する姿勢”を垣間見ていただければと願っている。

先日教育史料出版会の中村早苗編集長と電話でお話した際、「これはカナダの人権の動きを追った本ですから、パッと出るというより時間をかけてじっくりと売れて行く本だと思っています」とおっしゃって下さった。

そうした言葉にこの出版社の姿勢を感じ、彼女に出会えたことに感謝している。

私が知る限りでは、一国の公民権運動をゲイライツという視点からまとめた日本語の本はないと思う。(もちろんあったらお知らせいただきたい)

2001年4月にオランダは世界で最初に同性婚を認めた国だが、これに関してさえ日本語でまとめた本は出版されていないはずだ。

乞う、ご期待!


▲トップに戻る
2005年2月21日
集英社の文庫本の部門で、今回私の本作りを担当して下さっている堀内倫子さんから、先週「1万6千部刷り、定価¥560と決まりましたのでご了承下さい」とのお知らせを頂いた。
発売は予定通り3月18日(金)だが、すでに集英社の来月発行予定の ウェブサイトに掲載されている。

堀内さんは実に丁寧な仕事をしてくださる方で、単行本の時には見逃していた小さなミスや不自然な言い回し、また同じ言葉があちらこちらに出る場合に、本全体を通して送り仮名を統一して下さるなど、書いた本人も気づかないような箇所を読み込んで訂正をしてくださった。
プロフェッショナルとはかくありきと、何度も感じ入った。

それにしても、今回また1万6千部という部数を発行して下さることに私は少なからず驚いている。
「おかげさまで〜」という言葉と気持ちを持たずにはおれない。



そんな思いを込めて私は堀内さんに先日こんなメールを送った。

『堀内さんを始め、皆さまのご協力によりここまでに至ったこと心より感謝いたします。
また、関わって下さった各方面の方々に、機会がありましたらどうぞ私からの感謝の気持ちをお伝えくださいますようお願い申し上げます。

それにつけても拙著の主人公である母はもうこの世に居ないのに、こうして再度「母の物語」が日の目を見るというのは、有難いと共に、いまだに信じられない気が致します。
お読みいただいたように、確かに母は“一生懸命”と“前向き”を旗印にして生き抜いた人でしたが、世の中にはもっとご苦労なさって生きられた方もいらっしゃったでしょうのに、一度ならず2度までもご出版いただくことにお礼の申しようもありません。』



これに対し堀内さんはこんな返事を下さった。

『お母様の魅力は「一生懸命」「前向き」だけでなく、むしろ「誇り高さ」に私は惹かれます。
「誇り高い」という言葉は現代では、「傲慢」や「高慢」と解釈する人がいるので本のコピーには使いませんでしたが、自分をコントロールし怒ったり怒鳴ったりなど人を不快にさせる荒々しい感情を押さえること。

人に自分がしてあげられることを考える、美しく生きたいと強く願い祈る生き方を私は「誇り高い」、と感じます。
苦労が多くても、自分の生き方を客観的に見られる聡明さがあればこんな生き方ができる、という意味で、お母様の生き方は人に勇気を与えてくださったのではないでしょうか。』

そんな思いを持ってくださったからこそ、文庫本作りににお力を注いで下さったのであろう。本当にありがたいことと感謝している。

▲トップに戻る
2005年1月14日
一月も半ばを迎えようとしている。
新しい年になったのだ、という気持ちをまわりの雰囲気から感じられるという状況が少ない北米生活。この時期ばかりは何年ここに住んでいても、日本が懐かしく感じられる。
日本人のバックグランドのある家では、元旦の夕方からパーティーを開いておせちや、多少北米的なものを含めての料理でもてなす人は多い。

我が家でも毎年これが恒例になっていて、「ここに来るのが一年の何よりの楽しみ!」とか「これがないと一年が始まった気がしない」などというカナダの友人は多い。
だが今年の我が家は、こうして集まっていた4,50人の人たちをガッカリさせてしまった。
私はホッと・トピックにも書いたように、2冊の本の初校ゲラ校正に追われ、とてもパーティーを開ける状況ではなかったからだ。

でもお陰さまで4日までにはすべてを終え日本に送り返した。
すべてとは、集英社が文庫本にしてくださる「カナダ生き生き老い暮らし」と、2冊目の拙著「カナダのセクシュラル・マイノリティーたち」(教育史料出版会)のことである。

いま両出版社とも、赤字のすり合わせを始めてくださっている。こうしていろいろな方の目や手を通して、一冊の本というのは出来上がるのだ。

各方面の方に感謝しつつ、「カナダ生き生き老い暮らし」の文庫本もさらに読者が増えることを、、そして新著の「カナダのセクシュアル・マイノリティーたち」も、カナダがヒューマンライツ(人権)というものをどのように取らえているかを知る意味で読んでいただけたらと思っている。

ちなみに集英社の文庫本の発売は3月18日(金)の予定である。

▲トップに戻る
2004年11月9日
10月末の締め切りに間に合うように「文庫本のための後書き」を4000字でまとめた。

文庫本」にしていただくなどという栄誉(笑)は、今回が初めてのため私は技術的なことをまったく知らなかった。
つまり文庫本は、単行本のミニチュア版と考えていたのだ。

ところがこれは大間違いで、挿入などの写真はオリジナルの写真を再度送らなければならなかった。理由は「ドットが違うので文庫版に小さくすると黒くつぶれやすいのです」と担当の方からメールを頂き「ああ、そうなんだ。。。」と思ったのである。
もちろん言われて見ると分かるのだが、自分の無知に私は笑ってしまった。

という事で、新しい写真も入れ込んで頂けるかと思いアルバムをひっくり返して、オリジナルのものと合わせ幾つか集めてみた。
もし再度文庫本でお読み下さる方がいらしたら、こんどは少し新しい写真をご覧いただけるかもしれない。(もちろんまだはっきり決まったわけではないのだが)。

今年ばかりは、トロントの夏、秋とも素晴らしくいいお天気が続き「ラッキー!」と思いながら仕事をしている。
カナダの人権本もいま校正を待っている状態で、12月末から1月に掛けて出版される予定。

今か今かと出版を待っていて下さる方には申し訳なく思っている。時にはまるで童話「狼少年」の心境になるが、もう少しの辛抱と自分にも言い聞かせている。

▲トップに戻る
2004年9月20日(敬老の日)
今月初め「カナダ生き生き老い暮らし」を出して下さった集英社編集部からご連絡を頂いた。
「何かな?」と思ったところ、拙著の文庫本化を考えているが、「その許可をいただきたい」というものであった。

正直私は「えっ?!」と驚き、一瞬信じられない思いだった。もうかれこれ4年も前に出版された本である。

毎日多くの出版物が市場に出回り競争の烈しい日本ではあるし、人々の活字離れも昨今始まったことではない。また現代人はことのほか忙しい上、インターネットの発達などで読書の時間がない......などなど。出版業界の明るいとはいえないニュースが伝わってくる。

私の本はもうとっくに絶版にさえなっているのではと、思っていたが文庫化というではないか!
でも実は出版社の担当の方は、母が逝去したことはご存知なかったとおっしゃる。

それでもなお
「お母様に直接ご挨拶できなかったのは残念ですが、しかしあらためて宮松さんが書かれたこの本を文庫化させていただけないでしょうか?長寿時代と言われて久しくなりますが、やはり老いていくというのは大変なことなのですね。その中でお母様の勇気と好奇心とご自分を律する生き方はとてもこちらにいろいろなことを教えて下さいます。また娘である宮松さんが自分のお母様をそのように誇りを持って書けること自体素敵だなあ、と思います」
とメールを下さった。

まだ読んでくださる読者がいることを心より感謝し、来年春の文庫本出版のために追記を書く準備をしている。

折も折、インターネットで日本の新聞を読もうと目を通したら、敬老の日にちなんだ総務省の調査で高齢者人口が20%に迫ったとあり、2014年には25.3%、国民の4人に1人が高齢者になるという記事が載っていた。

それに引き続くニュースの見出しは:

* 「いないほうがいい」88歳義母を絞殺
* 寝たきり夫の将来悲観、介護の71歳妻が窒息死させる
* 独居老人殺人で逮捕の男、タクシー運転手殺害も自供
* 強盗事件を捜査中の覆面パトカー、88歳はねる
* 肝臓病の47歳長女を絞殺、79歳母が自首

とある。

母が前向きに生き抜いて逝ったこと、確かにすごいことだったと言えるのかもしれないと改めて感じている。

▲トップに戻る
2004年8月15日(お盆)
先日あるお友達からこんなメールをいただいた。


〜前略〜
お母様のことを知りながら何もしませんでした。
私も父の最期をトロントでTELで受け・・・・・。
本当に辛く悲しい思いが今でも私の心の中に住み続けています。

そんな気持ちが強く何かメ―ルに気が向かなかった。
そして、お悔やみのメールをしても何かうそっぽくて私の心が許さなかった。

・・・・・・・・・「ごめんなさい、敬子さんのお母様」・・・・・・・・・・・
「今度もまた違う国で楽しんで下さい。」「私の父に会ったら宜しくお願い致します。」
〜後略〜


何だかとても自分の気持ちに正直なメールで、私はこれを受け取った時すごく嬉しかった。

母が逝って始めてのお盆。
もう半年も立ったというのに、いまだに折に触れては母を思い出す。

▲トップに戻る
2004年5月6日
今日は母の誕生日。トロントは快晴に恵まれ気持ちのよい一日であった。
生きていれば94歳(!)になったはずである。

今年の冬はそれほど寒かったとは思えないが、まだトロント市内の桜の名所であるハイパークの木々は、よく日の当たる場所でも5、6部咲きで、満開までには間がありそうだった。

この快晴の日、私は桜の木々の間をそぞろ廻り、日本から少しだけ持ってきた母の遺骨を手で細かく砕きながら、そこここに散布した。母に語りかけ、心穏やかな至福のひと時を過ごした。

母がこよなく愛したハイパークの桜。毎年通っては愛でていた桜。まだピンクの絨毯を敷き詰めたように見えるまでにはしばらく掛かりそうだが、母の遺灰が満開になるのに一役買うだろうか。(笑)
であったら嬉しいが.....。

▲トップに戻る
2004年4月11日
数えてみると、母への「ご厚情を感謝する会」からすでに3週間も立っている。

あの日はまだ3月半ばで寒い日であったが、春の淡雪が舞うこともなく、母が一番好きだった太陽が出て、春の匂いを少しだけかぐことさえ出来た。

お陰さまで当日は50人近くの方が次々と顔を見せて下さり、母に相応しい、明るく賑やかなトロントでの野辺の送りができた。

諸事で当日ご出席いただけなかった方々や遠方の方々からは、またしても思いを込めたeメールやカード、そしてたくさんのお花を頂いた。

ここにその一部を載せさせて頂きたいと思う。


*〜*
お元気でしょうか。
今日本は、桜前線が北上しております。

先月は、成田からわざわざお電話をいただき有難うございました。
敬子様のいつもの歯切れのよい快活なお声に、安堵いたしました。

21日に、お母様を偲ぶ会が催されるようでございますが、武生から一言申し上げさせていただきます。

「お母様は、母であり、真の国際人でいらっしゃいました。ご立派な人格と、人生の処されかたに感動しております。日本人として学ぶべきことが沢山ございます。そして、日本の若者にも伝えることが沢山あるように思います。
敬子様のペンによって、日本の若者に、そして世界の人たちに、お母様の清らかなメッセージが伝えられることを期待してやみません」。

愉快で心温まる会でありますことを祈りながら.....。

越前武生  T.S.


*〜*
Dear Keiko,

We wanted to say how sorry we are not to be able to be with you this Sunday to remember your mother. I have been thinking of her since the day she passed away and I do miss her. (I must say that I miss her from the time she went back to Japan).

I remember your mother when we came to visit and the way she would sit, and most of all, how she would always have a welcoming smile for us. If there was a language barrier between us, it certainly didn't stop her from laughing at Brian's sense of humour and vice-versa.

I also remember your mother as a warm person, filled with generosity and love and as a mother myself I will always try to follow her example.
Keiko, I am sorry for your loss and hope the pain goes away, soon.

Here on our desk sits a ball made of origami that your mother gave us when we left for New York. It is more or less intact and the colors are bright and shiny, like your mother's spirit.

Lots of love
Toronto S.M.



*〜*
ずいぶんご無沙汰いたしまして、その間にお母様のご不幸がおありだったなんて!

しばらくショックでホームページの画面を見つめ続けました。
ご本の中のお写真を改めて拝見しています。

戦前、戦中、戦後、そしてカナダ、日本・・いつの時代でもどこででも、どんなことがあっても穏やかな笑顔できちんと生きてらしたんですね。

どんなにかお寂しいお気持ちかとお察しいたします。
普段の生活のちょっとしたことで思い出し、もういらっしゃらないんだと改めてわかったりした時など特に強い寂しさを感じておいでではないでしょうか。

実父が亡くなった時、目にした言葉があります。
「人は2度死ぬ。1度目は肉体が死んだ時。2度目は亡くなった人のことをだれも話さなくなった時」

父の教えと愛情は忘れないでいようと思いました。
宮松さんとご一緒に私もお母様のことは忘れないで過ごしていきます。

お別れの会を開かれている今日、ホームページを拝見できたことに、奇跡のような思いがしています。

   ご自愛のほどお願い申し上げます。

愛媛 T.M.



*〜*
素晴らしく、私が折に触れ鑑として崇めてた方の逝去には、天国への往生とはいえ、残された者の悲しさを抑える事ができません。涙がとめどなく流れます。貴女の コンピュータもびっしょりではありませんか?

日頃頻繁にお会いしてなかった方が亡くなると、本当にこの世にいらっしゃらないのだという実感が出るまでには相当時間がかかります。

お母様からわけていただいた教訓、人生観はこれからも私の人生の指針となります。ありがたいことです。

トロント T.A.

▲トップに戻る
2004年3月18日
トロントにある硬派の日系紙「にっけいヴォイス」に次のような一文を載せた。


「逝った母を偲ぶ」

母が93歳で逝った。
まさに「天寿を全うした」という言葉がピッタリの長寿であった。

いま日本の高齢者の間で流行語になっていて、誰もが望む「ピンピンコロリン」を地で行った。

記憶を失って徘徊することもなく、ムツキを当てる事もなかった。前夜まで家族と語らい小学唱歌を口ずさみ、翌朝家族の者が「おはよう、お母様!」と部屋に入ったとき、丁度三途の川を渡りかけていたという。

これ以上に望むことがあるだろうかと思う。そう思いながらも母との関係が殊のほか近かった私は、いい年をしてと自分を叱咤しているのだが、一ヶ月以上も経った今もじくじくと寂しさを味わっている。

母親というのは幾つで死んでも母親で、亡くした後の寂しさは歳に関係ないと友人たちは慰めてくれるが、本当にその思いをしみじみと実感している。

母は一年半余り前に、一度生死をさ迷った。それをきっかけに兄のコンピューターを通して送り始めた電子メールが、今数えてみると249枚になっている。

朝コンピューターにスイッチを入れると、何よりも先に「お母様、今日も元気にしていますか?」で書き始めていたメール。習慣とは恐ろしいもので、2日も書かないでいると何処かに忘れ物でもしたような気持ちになったものだ。

ワードでたった一枚の電子メールだったが、家族のこまごましたこと、母がここに住んでいたときに知り合った多くの方たちの近況、移り行く季節や街の様子などなど。時にはカナダの政治経済の動きなども話題にした。

それに対して母は、小さめのカードに自分の思いを綴り、一ヶ月に1,2度の割りで便りをくれた。シンプルな花柄のカードが好みで、私は種類の多いこちらで、母の顔を思い浮かべながら時々まとめ買いをして送っていた。つまりカード自体は太平洋を往復したことになる。

母からのそのカード便りがいま目の前に一山になっている。
異国に住む娘からの電子メールを、母がどんなにか楽しみにしていたと廻りの家族に聞かされると、せめてもの親孝行が出来てよかったと慰められる。

もうカードを買う必要はなく、メールを送らなくてもいい。それが寂しさと空虚感を一層募らせる。

ある方が「お母さまは、古き日本の女性像と近代的なよさを兼ね備え、強く優しく美しい生き方をされた方で、生きて行く姿そのものが、いろいろなメッセージを発信していらしたのでしょう」とおっしゃってくださった。

娘として母から教えられたことは大きかったと今更ながら思っている。


「厚情を感謝する会」ご案内
たまに明るい太陽が輝く日はあっても、まだトロントは寒い日が続いております。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?

母が2月1日(日)(トロント1月31日)に逝去して以来、多くの皆様から弔辞、弔電、電子メール、電話、弔花、お香典などを頂きました。
お心に掛けられたことここに改めてお礼を申し上げます。

私は家族と共に、2月17日(火)に山梨県韮崎市のカトリック教会で行われました母のメモリアル・サービスに出席いたしました。
当日は青空の広がる穏やかな早春の日でした。母がこよなく愛した梅の季節で、紅梅は今を盛りと咲き競い、また白梅もそこここでほころび始めておりました。

日本ではキリスト教関係者以外は、メモリアル・サービスというものに余り馴染みがないようです。でもそれだけに、葬儀屋さんに任せてしまう形式が先立つものではなかったため、手作りの野辺の送りという感じがして何とも心温まるものでした。
ごミサにご出席くださった方たちは「宮松さんに相応しい集いでした」とおっしゃってくださり、残された者は心安らぐ思いが致しました。

母が暮らしておりました22年間のトロント生活の間には、多くの方と親しくお付き合いさせていただきました。日本に帰って5年になりましたが、私が訪日するたびに懐かしそうにここでの生活を語り、「あの方は?」「この方は?」と近況を知りたがっておりました。

皆様におかれては日々お忙しいことでしょうが、生前の母へのご厚情を感謝するひと時を以下に計画いたしました。くれぐれも身一つでお越しくださるようお願いいたします。

日付:3月21日(日)2:00〜4:00pm
場所:***********サンダース宮松敬子宅
連絡先:keiko_miyamatsu@fastmail.fm

お好きな時間に平服でお気軽にお越しいただければと思います。またお知り合いでご一緒なさりたい方がいらしたら、どうぞお誘い合わせてお越し下さい。お会いするのを楽しみに。

心を込めて

▲トップに戻る
2004年2月2日
このサイトの主人公であった母、宮松芳子は、日本時間2月1日、朝8時30分(トロント時間:1月31日午後6時30分)に永眠いたしました。享年93歳でした。

1月半ばにちょっとしたことで腰骨に少しひびが入り、2週間ほど入院しましたが、一通りの治療も済ませ退院した矢先のことでした。
前夜は、この2年余り同居しておりました兄夫婦や、丁度折りよく見舞いに行っていた姉などと共に楽しく語らい、昔の唱歌を口ずさむなど穏やかな夜を過ごしたそうです。

しかし翌朝に様態が急変し、家族が見守る中、まったく苦しむこともなく静かに旅立ったとのことです。

トロント在住の私は、その旅立ちを見送ることは出来ませんでしたが、何事にも始末のよかった母の最期にふさわしい逝きかたではなかったかと思っております。

2月2日(月)に仮通夜、3日(火)に荼毘に付します。
そして2月17日(火)に家族一同が集まり、母が通っていた八ヶ岳の麓のカトリック教会で、メモリアル・サービスを行い、逝った母を偲びたいと思っております。

生前お世話になった皆様に心からのお礼を申し上げます。


高齢だった母にもかかわらずある方がこんな歌をお送りくださいました。


*つひにゆく道とはかねてききしかど
きのふけふとは思わざりしを(古今861)* 在原業平(ありはらのなりひら)

▲トップに戻る
2004年1月24日
母も元気に2004年の新年を迎えた。
ボケもない93歳の初春である。

だが先日ちょっとしたことで、腰骨を痛め今入院中である。
しかしとにかく前向きな母のこと。「私こんなことに負けないわよ!」と言いつつ医療関係者の協力を得て精神的、身体的の鍛錬を重ねている。


先日ある読者からこんなメールを頂いた。

〜(前略)
「3〜4年ほど前に ”カナダ生き生き老い暮らし” を読ませて頂き、大変感動して一気に読んでしまいました。
私の娘もカナダに留学していましたので、私もお母様のような生き方をしたいと思っていました。

しかし不幸なことに娘が不治の病に倒れ、帰らぬ人になってしまいました。
娘は高校留学から大学までの予定で、短大を終わり、大学に編入しようとしていた矢先でした。22歳で旅立ってしまいました。

娘が滞在中に3回ほどカナダには行きましたが、3回忌が過ぎた昨年思い切って1年間カナダで暮らしてみました。
高校の時のホームステイ先に滞在しての1年間でした。

娘の変わりに私にできることは何だろうと思いながら過ごし、ここで残された私の人生を過ごしたくなりました」。
(後略)〜

私は心を込めて以下のように返事を送った。>br>
〜(前略)
「娘さんのことどれほどご心痛か、私にも25歳になる娘がおりますので、お気持ちを察するに余りあります。

すでにカナダで1年をお過ごしになり、娘さんが好きだったカナダでの生活をと希望しておられるご様子に胸の痛む思いがいたします」。〜
(後略)

親にとって子に先立たれることほど悲しいことはないと聞く。
この読者の心の平安を願いつつ.....。

▲トップに戻る
2003年11月1日
早々と11月になり冬の訪れを身近に感じるようになった。
嬉しいことに、今年の秋は緩やかな感じでやって来て、穏やかな感じで去っていくように思える。
紅葉も例年に比べ遅かったが、ひと際色鮮やかだったような気もする。

昨日は恒例のハロウィーンで沢山の子供がやって来たが、暖かい夜で子供の数がいつもより多かった。

母がここトロントに居たころは、この日は必ず我が家に来て近所の子供にキャンディーをやる手伝いをしてくれたものだ。
昔のそんな日を思い出すよすがに、先日はハロウィーンにまつわる思い出をいくつか書いてメールした。
日本の深まる秋に母は元気にしているようだ。


1週間ほど前に台湾で私の本を読んだとおっしゃるADさんからメールを頂いた。

〜(前略)
「2年程前にカナダの移民ビザを申請し、無事取得出来たため、来年3月頃をめどにカナダのトロントに移住する予定でおります。
移住を考え始めた頃、宮松様の著書”カナダ生き生き老い暮らし”に出会いました。以来、時折開いては、新たな発見をし、いろいろな事を教えられています。
日本にいる私の家族、特に両親を想うと遠いカナダに移住する事について、この2年間私の心は様々に揺れ動き、苦しいときもありましたし、今でもそうです。
そんな時、宮松様のお母様の生き方には本当に学ぶべき点がたくさんあり、とても勇気付けられています。この本に出会えた事にとても感謝しています。ありがとうございます」。
(後略)〜
出版してすでに3年近い年月が立っているが、こうしてまだお便りをいただけるのは嬉しい。

▲トップに戻る
2003年9月15日
今日は9月15日。日本は「敬老の日」で祝日だ。

カナダには残念ながらこうした休日はない。「子供の日」もなく、生きている人間を対称に祝うものとしては、「母の日」と「父の日」だけだが、この2日は日曜日に合わせているので国民の休日ではない。

こうして考えてみると、日本に「子供」と「シニア」を対象の休日があるなんてすごいことだなと思う。
だからといって、果たして日本の「子供」と「老人」が国からどれほど大切にされているかを感じるのは、個々によって違いがあるだろう。

だがある日本の友人は「日本には建国記念日はないけど、カナダはこの日(7月1日)は大きな祝日だ」という。確かにそうである。
素直に建国の日を祝えない日本の事情は複雑なのだが、考えてみると不思議な国である。

さて日本の母は、いつも通っているデイケアで今日は特別なお祝があって、楽しい一時を過ごしたようだ。

この夏の訪日の際にこのデイケアに行って挨拶したが、とにかく驚いたことは、その清潔さと働いている職員の年齢が若いことだった。聞いてみるとこれは、母のデイケアばかりではないという。
彼らがきびきびと動いている様は、見ていて気持ちよくとても嬉しかった。

もちろん介護の対象は年を取ったシニアである。
私が訪問した時間は、ちょうど皆で体操をしたり合唱したりの時間だったが、2人ほどは床に転がって、時々意味の分からない大声を上げては周りを困らせていた。
だが、若い職員はそばで優しく言い含めて、なるべく周りの迷惑にならないようにしている。

「日本のシニアは甘やかされ過ぎて自立心を養っていない」とアメリカからのある介護専門家が言っていたのを思い出した。さてこの言葉をどのようにに解釈するか。
こちらの公園では、一人ベンチで杖にもたれて座る寂しげな老人の姿をよく見かける。そんな様子が私の脳裏をかすめもした。

▲トップに戻る
2003年8月19日
7月半ばから半月ほどの訪日では、2度母に会う機会を得た。
元気にしていることが何よりも嬉しく、こちらに戻ってもその元気だった姿を唯一の心のよりどころとして、日に何度も母に語りかける。

自分の身の回りの、ありとあらゆることをあるがままに受け入れ、すべてのことに感謝して生きている母。

私は母の心の思いをすべて飲み込み、ただただ共にすごす時間を大切にした。

そして今日も母に語りかけ、今日も家族のとりとめもないことを書いた1枚のメールを送る。

▲トップに戻る
2003年7月13日
通常のメールに加え、我が家の住人たちに何か変化が起こるたびに、私はさらに加えて母にメールを送り詳細を知らせる。

それが特に楽しいニュースの時は、そのたびに母は「いつも楽しいニュースをありがとう!」とカードを送って来る。

淡い薄紫のアガパンサスの花が描かれた同じ模様の母からのカードは、もう幾枚になるだろうか。

内容は毎回ほとんど同じながら、カードを書くほどに元気なのだな、と思えるのは嬉しい。だがその小さなカードの分量が母には適量のようだ。
最後には必ず「疲れてしまいましたので、今日はこれでやめます」とある。

これからもまだまだカードが送られてくるのを、私は勝手に待っている。

▲トップに戻る
2003年6月13日
「この頃お母様のニュースがないけどお元気?」と、お心に掛けてくださる方たちからのメールが気になりながらついつい日が過ぎてしまった。気が付いたら2ヶ月立っている。

母は先月初旬に93歳の誕生日を迎えたが、日々つつがなく過ごしている。

私は変わらずに、気が向くままに母にメールを送っているが、先日数えたらこの一年で190枚になっていた。平均2日おき位には書いていることになる。

よく続いているなと自分でも思うが、母にとって何よりの楽しみと聞けば励みにもなる。
そして母からは、時々郵便で返事が来る。しかし、メールと郵便とでは時間の差があり過ぎて、母の手紙が届く頃には、もうこちらは少なくとも2、3本のメールを出しているので、自分の頭を切り替えて数日前の時限に元に戻す必要がある。

また日本はそろそろ蒸し暑い季節になっているとのこと。
元気で居て欲しい。

▲トップに戻る
2003年4月15日
ある読者(HTさん)からこんなメールが届いた。

「今さっき、Toronto Reference Library から借りてきたこの本を読み終えました。
活字がただただ恋しくて図書館に行き、こうしてトロントの地でこのような一冊の本にめぐりあえたことを感謝しております。

トロントに来て、一年と半年が過ぎ、日本で生活していたときには味わうことのなかった、どうしようもない孤独感や不安、自分がこれからどうするのかと悩む葛藤のなか、サンダース・宮松敬子さんの「カナダ生き生き老い暮らし」、この本を読み励まされました。

ただ一言、お礼の言葉が言いたく、メールをしました。無事にこのメールが届くことを祈って、、、。 ありがとうございました。」

 
そして私はこんな返事を書いた。

「とても素敵なメールをありがとう!拙著をお読みくださったとのこと、心より嬉しく思っています。   

あなたは初めての外国暮らしでしょうか?
トロントにいらして1年半がおたちとのこと、きっといろいろと考えることの多い日々なのでしょうね。一生懸命頑張ろうと思う反面、どうしようもない孤独感や不安に陥り、やり場のない切なさを感じておられるのではと思います。

日本の家族や友人たちからは、きっと時々「桜便り」が聞かれもするのでしょうが、トロントは4月半ばになっても、街中には氷山のような雪の塊が見られ、一体いつになったら花の季節になるのかも分からない。本当に気落ちするのも無理のないことです。

私はあなたのメールを読みながら、30年前に初めてこの地に来た時の冬を思い出しました。余りの寒さと淋しさにある初冬の日、顔にかかる雪や流れる涙を拭きもせず、また他人の目など気にすることも出来ずに、ただただ嗚咽しながら歩いたことがありました。

拙著にも書いたとおり、カナダに来たのは誰に強要されたわけでもなし、自分の決心であった筈なのに、ともするとくじけそうになる自分が情けなかったのです。

まだあなたはきっとお若いのでしょう。これからも人生には山も川もあります。でも今のあなたの頑張りは決して無駄にはならないということだけは、人生の先輩として申し上げておきましょう。

そして人生とは、生きるとは、ということを真剣に考える機会があるほどに人間は成長し、また人の優しさに深い思いを寄せ、人に優しくする心が育つものだと思います。

あなたはお仕事? 勉強? それともワーキングホリデーでここにいらっしゃるのですか?
いずれにしても今後もしっかりと足元を見据えながら、ご自分の信じる道を歩いてください。人はどんなに辛くても自分の道は自分で切り開かなければならないのです。

もちろんこんな当たり前のこと誰に言われなくてもお分かりでしょうが、その「自分の道」を探すことも時には容易でないことがあります。

慌てずにゆっくりと頑張ってください。お元気で。」

▲トップに戻る
2003年3月7日
「便りがないのは良い知らせ」とはよく言ったものだ。
ここのところ母から便りがないと思ったら、週2回のデイケア通いも億劫がらずに出かけている言うことで、元気になった様子が窺い知れる。

桜便りがもうじき聞かれる日本。
だがこの時期の前に咲く梅の花をこよなく愛している母は、自分の嫁ぎ先の庭にあった梅の木をいまだに大事にしている。何度かの引越しのたびに移しかえたその古木は、今姉の家の庭にあるのだが、先日母は「東風吹かば匂いよこせよ梅の花、主なしとて春を忘するな」の歌と共に、今年の咲き具合を葉書で姉に聞いてきたとか。

姉は家族の寄せ書きと共に、一輪の花を同封したと言う。
ふくいくとしたあの梅の香りを、母はきっと楽しんだに違いない。

▲トップに戻る
2003年2月8日
去年の秋に出た長期予報によると、トロント周辺はこの冬も“暖冬"ということだったが、それは見事にはずれ寒い日が続いている。
しかし例年より雪の量は少ないように感じるが、考えてみるとまだ2月。これからもっと雪が降り寒い日があってもおかしくない。

カナダの東部ニュー・ブランズウィック州一体では、アイス・ストームに見舞われ、木という木に氷が張りついて樹氷になってしまった。
4,5年前にケベック州が同じようなアイス・ストームに見舞われた。氷の重みで電線が切れあちらこちらで支障をきたし、電気の供給が途絶え、住民は長い間非難する騒ぎを起こした。
今のニュー・ブランズウィックはまさにこれと同じである。

映像で見る限りはまことに美しい光景だが、住民に取っては死活問題だ。
トロントは今のところそうした問題はないが、オンタリオ湖も湖岸では氷に覆われているところもある。

日本も例年より雪が多く寒いようだが、母は元気にしている。
先日、喉にタンをからませて救急に運ばれたと言うが、病院を3ヶ所も回されてやっと検診を受けられたとか。
「えっ、それってトロントの話ではなかったの?!」と驚いたのだが、日本の病院でも同じようなことがあるようだ。
こんなことを書くと「何を驚いているの。いつものことよ」と言われるだろうか?

ここトロントでは、ERが一杯で回されているうちに亡くなったというニュースも珍しくない。
お陰さまで母は元気を取り戻したが、兄夫婦の献身が何よりの薬のようだ。

▲トップに戻る
2002年12月30日
母も元気に2003年のお正月を迎えようとしている。
病気から立ち直って半年。私が母に送ったメールや手紙は174枚になり、今日で書き治めをした。
石原慎太郎が何と言おうと、私たち兄弟姉妹に取って母はかけがいのない一人の人間である。
いつまでも元気でいて欲しい。

▲トップに戻る
2002年11月30日
いよいよ今年も余すところ一ヶ月となった。

お陰さまで母は元気にしているが、耳が遠くなってもう電話で話すことはできなくなってしまった。
私はまだメールを送り続けているが、もう毎日というわけにはいかない。
それでも週2、3回といったところで、春以来160枚余りになるだろうか。取りとめのない日々のこと、母が覚えているであろうトロントのいろいろな出来事を飽きもせずに書く。

それに対して母は律儀に返事を送ってくる。
私のどのメールへの返事と言うのではないが、しっかりとした英字でエアメイルの宛名を書き、中にいたっては罫線もない紙にちゃんとまっすぐに書いてくる。
最後に必ず「母」としたためるその一語に母の健在を見る思いがして嬉しい。

離れていると思いは募るが、外国暮らしの宿命だろう。
元気に年の暮れを送ってくれるように願っている。

▲トップに戻る
2002年10月18日
いまだに拙著「カナダ生き生き老い暮らし」(集英社)を読んでくださった読者からメールを頂く。驚き、そして嬉しい。

またカナダの友達も会うごとに「英訳はまだ?」などとふざけて言う。私がいま他の本を書いていて、そんな時間がないことを知っての催促である。
私は「ウフフ...」と笑って「Maybe someday」と答える。


母は秋を迎え、日に日に涼しくなる小淵沢で元気にしている。
都会から空気の美味しいこの地方に移ってはや一年。今は兄、義姉、母の間にそれなりのハーモニーが生まれ、うまく調和を取った生活をしているようだ。

先日母は「デイケアにお友達ができた」と手紙に書いてきた。私は早速メールを送り「年を取っても、まだお友達が出来た喜びを素直に感じられるのはすごい!」と励ました。
何事によらず好奇心を失わない心をいつまでも大切にするのは、とても大事なことと思う。

もう古い作品になってしまったが、映画館で見損なった「Iris」を先日ビデオで見て、思わず「うーん」と唸ってしまった。
アルツハイマーの恐怖! 同時にこうした病人を抱える家族の思いはいかばかりか......。想像に余りある。

母の記憶力の確かさに感心し、改めてありがたいことと思っている。

▲トップに戻る
2002年9月17日
母に毎日一枚の手紙を書いてメールに添付し、兄に送る。それを兄が印刷して母に渡す。そんな作業を始めてもう大分立つ。
耳がだんだんと遠くなり、電話での会話に不自由をきたすようになった母には、この毎日の手紙が何よりの楽しみと言う。

朝一番にコンピューターをONにして、まず書くのが母への手紙。習慣とは恐ろしいもので、この頃はこれをしないと私の一日が始まらなくなってしまった。

母は夏も無事に越し、無理はきかないものの元気になった。
でもデイケアに行った日はかなり疲れ、「帰ると夕食まで横にならないと駄目なの」と自分の健康の不甲斐なさを嘆く。

「それは記憶がしっかりしているせいよ」とは、同じように日本の母親がデイケアに行っている友人の弁。確かにそうかも知れない。これでボケていたらきっともっと楽なのかもしれない。

「その歳になってみないと分からないことって沢山あるのよ」と母はよく言う。
今を、近い未来を、遠い過去を、そして自分を、廻りの人々を、こんなすべてに思いをめぐらす母。

人は経験してみないと分からないことが沢山ある。確かに92歳にならないと分からないことって沢山あるのだろう。

▲トップに戻る
2002年8月8日
毎日インターネットで読む日本の新聞で、このところ「猛暑」という文字が踊っていない日はまれだ。「静岡の佐久間で39℃、名古屋で38℃〜〜」といった記事が目にとまる。
こんなに暑くても正常な思考が可能なのかしらと心配になる。

母の住む小淵沢は標高900mとかで、都会よりはかなり涼しいらしいが、それでも暑い日は暑いという。
母は7月半ばからデイケアに行くようになった。病気になる前は「お年よりばかりで嫌!」なんて、自分の年を棚に上げて言っていたが、回を重ねるほどに楽しんでいるようだ。

最近は皆の前で「戦争体験」を話したり、また、できたらそうのうちにデイケアの人たちに、英語を教えて欲しいとの要請もあったとか。
「えーっ、一体お母様どうなっているの?」なんて私は、日本に電話するたびに姉や兄に聞いている。
本当に母は、一時“三途の川”を見たなんて時期もあったのだろうか?ちょっと疑いたくなるほどの快復ぶりではある。

私が毎日欠かさず送っている母への手紙も、今日で80枚目を数える。
家族のいろいろなこと、昔トロントで母がよく行った場所の思い出話、こちらで親しくしていただいた方たちの近況、カナダで最近起こっている事件や事柄、といったものが主な内容だ。

書くことはまったく苦にならないのだが、暗いニュースは送りたくないし、かと言って、世の中そう楽しいことばかりが毎日起こってはいないので、たまに書く内容で行き詰まることもあるが、こうなったら365枚を達成しようかと思う。

友達が「それでまた一冊の本になるわね」なんて冷やかすが、「いや家族の話はもういいわ」と私は軽く受け流している。

▲トップに戻る
2002年7月7日
母の容態が極めて良好で、夏を迎えるとともに明るい兆しが見えてきた。
前記のように永い間一進一退を繰り返していたが、ここに来て大分元気を取り戻したらしい。
それは何にもまして、介護の暖かい手や思いが、回りに満ち満ちていることが原因といえよう。
ただお義理に「元気になって下さいね」といったものではなく、母を取り巻く廻りの人々の、一人残らずが心からそう思って下さっていることが、三途の川を見た者をまた蘇えらせているのだろう。

いつか“人の思い”というものが、どんなに他の人に作用するかと言った内容の講演会で、病状がほとんど同じある病人2人に対して行なわれた調査の話を聞いたことがある。それは一人の病人には沢山の人が「直って欲しい!」と祈り続け、もう一人の病人には誰もそんな思いを持たなかったというものだ。

その結果、祈られた方の病人は病状が軽くなり、もう一人の方には変化が見られなかったというのである。もちろん病人はどちらも、調査のことなどは何も知らなかったという。
この場合、果たして偶然が作用したのかどうかは定かでないが、母のこの4ヶ月ほどの病状を追うと、何かそんな調査も信じられるような気になる。

クリスチャンの母の言葉を借りると「私は本当に長生きしているけど、きっと神様は私には、まだ生きなければならない使命が残されているとお思いなのでしょう」

人はそれぞれの命の長さと、その終焉の有り様については、自分で決めることはできない。
母においては、生きていてくれているというただそれだけで、どれほど廻りの人が慰められているか計り知れない
そんな思いを回りに抱かせる92歳の母親というのが、世の中にどれほどいるだろうか?
ありがたいことだ。

▲トップに戻る
2002年6月4日
海のこちらであれこれと考えていてもラチがあかない。
そう思い、4月半ばに子供たちとともに訪日し、2週間ほど病に臥す母と寝食をともにした。物理的に母を身近に感じることで、母がまだ生きている証に触れたかったのだ。
以来、日々一進一退を繰り返している母。

多くの方々からのお見舞と心温まる励ましに、この場を借りて心からのお礼を申し上げたい。

一つ、ある友人からのメールにこんなのがあった。
「一進一退というのは、老境の身のみに降りかかるものではなく、(人は)皆それぞれが一進一退を繰り返している。進退きわまるまでは」。
実に言いえて妙である。

▲トップに戻る
2002年4月16日
母の容体が一応峠を越したようだが、廻りで看病してくれている身内の言葉に、相変わらず海のこちらで一喜一憂するしかできない私。
三途の川を越しそうになったという母。よく聞く話だが、ひとたび自分の親に起こってみれば、現実味が増す。

▲トップに戻る
2002年4月6日
地球の温暖化のために世界中の気候に異変があるというのは、残念ながらもうとっくに常識となっている。例年にない「暖冬」とか「極寒」とか「冷夏」とか「猛暑」とか.........。
まさに今年のトロントの冬もそんな感じだった。いつもの年よりずっと雪が少なかったにもかかわらず、立春を過ぎてから毎日のように雪やミゾレが降り、いまだ春遠しの日々だ。暖冬の後の寒冷の春である。

こんなに長引く寒さを感じるとき、いつも私は日本に帰った母を思う。「ああ、この肌寒さを感じずにすんでよかった」と。

その母が今日本で病に臥している。今回はかなり症状が重い。重ねて喉に腫瘍のようなしこりが発見された。もちろん年から言ってそれが急激に大きくなることはないとしても、場所柄、食事や息遣いにかなり支障があることは事実のようだ

身内に異変がある時、外国住まいはつらい。病人を取り巻く人々の思いを、電話口の向こうにひしひしと感じながらも、自分が何も出来ない歯がゆさを痛感するからだ。

5月初旬には92歳になる母。もちろん年齢に不足はない。しかし親とは不思議なもので、子供にとっては高齢な親だからもう十分というのではないのだ。
廻りで直接看病に携わっていてくれる人々の、決して気の抜けない日常を思いながらも、海のこちらでは勝手に「いつまでも元気で生きていて欲しい」と思ってしまう。

今そんな自分の身勝手さをしみじみと感じながらも、やはり心の奥では「お母様、もっともっと長生きしてね」とつぶやいているのである。

▲トップに戻る
2002年3月17日
日本にはそれはそれは沢山の中高齢者向きの雑誌がある。
その多くが通信販売というのが面白い。つまり本屋の店頭でパラパラと目を通して、気に入ったら買うという形式を取っていないのである。

言うまでもなくこれはすごく頭のいいやり方だ。一度その出版社の購読者ルートに載れば定期的に送られてくるのだから、読者としては面倒はない。また出版社の方では、顧客の名前を一度掴めばそう簡単に離しはしない。

雑誌発行のほかに、定期購読者だけが買える気のきいた商品などの販売をしたり、新しい読者を紹介した時には、プレゼントがもらえるなどの得点を出版社のほうはいくつも設けてあきさせない。

そうした雑誌の特徴は、それはそれは写真がきれいなことだ。そして登場する人々が、世に知れた有名人ばかりではないこと。
そう、ごく普通の人々、そこにもここにもいそうな人が話題を提供していることだ。
もちろん読者との一体感を感じさせることに、編集者の意図があることは言うまでもない。

そんな雑誌の一つに、先日母がまた紹介された。雑誌名は「いきいき」である。記事は母の語り口の形式で書かれているが、もう発刊以来1年3ヶ月もたつ拙著の紹介も兼ねているのは嬉しい。

カナダでの22年間の生活を終え、日本に帰ってからの思いにも触れている。
母の体の中に一本ピンと貫いている、「芳子の生き方」ともいえるものが読み取れるのが何よりだ。


*最近届いた読者からの感想: K.啓子(サンパウロ市・ブラジル)

〜前略〜
サンパウロの日系会館にご寄付いただいた貴女の本を読ませていただき、感動しました。
〜中略〜
現在の日本は、ボランティアの女性たちが多いと聞きます。また子育て済みのシルバーライフとして、世界中へ移住とか。
この国にも近所へ2組。60kmの近郊へ親子が2代。30年前の移住覚悟とは全然違います。
〜後略〜

▲トップに戻る
2002年2月25日
つい先日カナダのHistoryチャンネルというテレビ局で、1923年に起こった関東大震災の記録番組を放映した。
このチャンネルは、過去のいろいろな歴史的出来事を掘り起こし、もし生き残りで証言できる人がいればその人達を探し当て、またその関係者にもインタビューして、当時のことをできるだけ詳細に調べ上げる。
そこでこの関東大震災に関する番組も同じような手法でドキュメンタリー風に仕上げ、“Disasters of the Century”と題して制作した。それに母が出演し当時の思い出を語ったのである。

面白いのは当時を再現する場面だった。母が語る思い出話に添って俳優や子役が、あたかもその場に居かのように演技する場面が映し出されることだった。
母は13歳でこの恐怖の災害に遭遇したのだが、画像にもそれらしき年頃の女の子と2人の妹、弟1人、そして両親が登場するのだ。私に取ってはちゃんと覚えている祖父母であり叔母達であったから、何か妙な気持ちがあったもののそれだけに大変に興味深かった。

翌日番組を見てくれたカナダ人の友達が、「ということは、貴女のお母さんはつまり子供の頃にああした災害に会って、そして結婚してからは戦争が起こり夫が戦死したわけね。すごい人生ね!」と感に堪えたような言い方をしてた。
だから明治の女性は強いのですよ。

▲トップに戻る
2002年2月8日
1週間に一度日本の母に電話を入れる。
補聴器を使用しているため、受話器を耳に当てる時にはそれをとらないと、相手の声ががんがんと響いて聞き取れないという。
そのため必ず「ちょっと待って、今補聴器を取るから」という言葉から母との会話は始まる。

母の住む小淵沢も雪が少ないとのことだが、やはり2月は2月。寒さは厳しく、日課にしていた散歩はままならないという。
地球の向こう側にいる母が元気なのは分かるし、91歳ながら定期的に書いては送ってくれる手紙を見れば今だボケもない様子がわかるものの、やはり心の底に私なりの母への思いが疼く。

トロントも2月になり本格的な寒さになった。一日も早い春が待たれる。
お母様元気でいてね。


*最近届いた読者からの感想:Y.佳寿子

以下は「赤毛のアン」のファンクラブに入っているトロントのお友達が、そのMLに載っている方から送られて来たものを転送してくださったのです。

〜前略〜
立春を前に、日本列島はすっかり冷え込んでしまっています。みなさま、お元気でしょうか?
この寒さのなか、身体が温まって、元気づけられるカナダ関連の本を見つけました。

『カナダ生き生き老い暮らし』
サンダース・宮松敬子著 (keiko Miyamatsu Saunders)
集英社刊    1600円+税

カナダ・トロント在住のフリーランスライター、サンダース・宮松敬子さんのお母様である宮松芳子さんがこの本の主人公。
67歳にして、カナダ・トロントに移住し、22年後の1999年、再び日本に帰国なさるまでの暮らしを、次女である敬子さんの言葉で紡いだ本です。

ざっと目次を紹介しますと:
*老後のカナダ暮らし *トロントで一人暮らしの第一歩< *一人暮らしを満喫するには *シニアアパートの隣人たち *趣味が増やしたカナダでの人脈 *カナダ社会の日系人 *いちばんの苦労はやはり「言葉」の問題 *がんばり屋のよっちゃんの発祥 *私が求めらているなら行きましょう!
  
読む人の置かれた状況と、それぞれの意識の違いによってこの本は
● 常に自分を律して真剣に生きてきた一人の女性の、形を変えた自
分史とも
● 言葉や気候の違いに代表される異文化への適応のひとつのあり方
とも
● カナダでの暮らしの参考書とも
● カナダの日本人社会の紹介とも
● カナダの老人福祉事情を知る機会としても
● 退職後、カナダでの長期滞在を考えるシニアへの参考書とも
受け取れます。

とにかく痛快、元気。常に前向きな主人公の生き方は脱帽もの。娘さんである著者の文の隅々に、お母様に対する愛情が満ち満ちていて、こういう親娘関係を築きあげることのできた「家族の力」の源泉はどこにあるのだろうか、と考えさせられました。
〜後略〜
庭の隅にふきのとうを見つけた日


   〜*〜*〜*〜*〜*〜

▲トップに戻る
2001年10月8日
いつもの年より遅い秋が終わろうとしている。トロントの北の方ではすでに霜が降りたり、小雪がちらついている所もあるようだ。そんな街から来たのだろうか、今朝ちょっと早めに外へ出たら、屋根に雪を乗せて走っている車を見かけた。

アメリカの報復がいよいよ昨日の日曜日(7日)から始まった。本当にこの地球は今後どのようになるのだろうか?毎日ホワイトハウスや国防省で、内外の記者に対するブリーフィングがあるが、一体何処まで正しい情報を流しているのか一般の者には判断がつかない。もちろんタリバンなどに至っては、言うに及ばないだろう。

21世紀になり、91歳の秋を迎える母には、余りにも世の中が複雑化し過ぎて、詳細を理解するのは「難し過ぎる」といつも嘆いている。
そんな母だが、自分の身の回りのことには、いまだしっかりと生きる姿勢を律しているようだ。

今月の1日から母は山梨の小淵沢に住む兄の家に引っ越した。「人生最後の移動」と言いながら、息子の家に居を移したのである。2年半前にカナダから日本に戻るとき、すっかり身の周りの物を整理したにもかかわらず、今度の引越しでは更に身辺整理をして、日常生活に必要な物のみを持っての移動を行った。

引越しの理由の一番は、今回息子の家に引っ越すことで、老後の日々を成長した子供3人と平等に過ごせる時期を持ちたかったからである。
カナダでは私と、99年の春に日本に戻ってからは姉と、そして今兄と彼の連れ合いと一緒に過ごせる喜びを母は「本当にありがたいこと」と感謝をして日々を送っている。
何処に行っても暖かく迎えてくれる場所があることは、年をとった者には何よりの喜びであろう。
 
よく老人は、周りの環境が変わることが良くないと聞く。また年を重ねると、永い年月の間に集めた思い出の品々は捨てがたく、ついガラクタが溜まると耳にする。
だがこと母にいたっては、その心配はないようだ。これは、自分をしっかりと見据える目を育てることを忘れていない証拠と言えるかもしれない。

新たな環境に早く馴染み、心豊かに生活して欲しいと娘の私は遠くカナダから願っている。


*最近届いた読者からの感想:H.比良子

〜前略〜
青山のカナダ大使館の図書館で薦められて読み、私もカナダに移り住もうかと思い立ちました。バンクーバー辺りに。
読み終えてから決断が付きました。来春ロングステイから試そうかと思います。
〜後略〜

▲トップに戻る
2001年8月16日
今日いただいた大阪のお友達からのメールによれば、「日本はまだまだ暑い」とのこと。本日変更した私のホット・トピックにも書いたように、トロントは先週が暑さのピークで、週明けとともに一段と涼しくなり、急に秋の気配さえ感じられるようになった。
日本の母は今お盆の休暇を利用して、小淵沢に住む息子の家に出かけている。八ヶ岳連峰が見えるこのあたりは、都会に比べずっと涼しく一息ついているようだ。

この週末に母は、そこを訪れるカナダのドキュメンタリー・フィルム製作会社の人からのインタビューを受けることになっている。理由は1923年(大正12年)9月に起こった関東大震災について、"Disasters of the Century"(第2シーズン)と題してドキュメンタリーの映画を創るのに、実際の体験者として話をするためである。
フィルムはHistoryチャネルと呼ばれるテレビ局から放映される予定だ。
私は何度も母から体験談を聞かされているが、この大震災の復興には長いこと掛かり、学校の勉強が遅れることを心配した母の両親は、通っていた横浜雙葉学園の姉妹校が静岡にあることから、秋になってからそこに入学させることにした。破壊された鉄道線路に沿って、母親に手を引かれながら汽車の通う駅までの長い道のりをテクテクと歩き、母にはそれが永遠に続くように思われたと言う。
女子の教育など全く重要視されない時代のことで、これを期に学校に戻らなかった友達も多かったそうだ。

6年前の阪神大震災の時には、母はトロントに住んでいたが、テレビや新聞で逃げ惑う市民の姿を見るたびに、70年以上も前の恐怖がよみがえり何度も身震いをしていた。
しかし関東大震災の時には、阪神の時のように多くのボランティアの助けがあったわけでなく、また国からの仮宿舎もなく、人々は皆自力で生活の建て直しをしたという。
昔の人が粘り強いといわれる由縁だろうか?
 
 
*最近届いた読者からの感想:T.考廣(湘南)

〜前略〜
図書館で、サンダースさんの著書を借り読みました。お母様の活き活きとした生活ぶりに感動しました。
3年前にリストラにあい、唯、食べるだけの生活をしている私には、特にです。
「海外飛翔」なんて、言葉を思い浮かべました。
今後もお元気でご活躍下さい。

拙著紹介:東京カナダ大使館広報誌 Culture Canada(8、9月号)

▲トップに戻る
2001年6月29日
一年のうちで一番素敵な月、6月がアッという間に過ぎていく。ここのところ毎日30℃を越す日が続いてはいるが、それでも夜になればぐっと温度は下がり20度前後になる。寒くて長い冬があるからこそ、この素敵な季節が益々嬉しい。
しかしこのごろは、夏になるたびに問題になるのが大気汚染だ。これは世界中の大都会が抱える問題のようだが、トロントも例外ではない。これから迎える本格的な夏になると、蒸して暑い日には「病人やシニアは特に注意」という気象庁からの汚染警告が毎日のように出される。
一昨日で公立学校は一年の締めくくりを終わり、9月4日に始まる新学期までの長い夏休みに入った。子供も高齢者も病人も無事にこの夏を過ごして欲しい。
 
日本の母は今年で3回目の夏を迎える。身軽で楽しい夏ではあるが、暑さに弱い彼女には一番苦手な季節でもある。
しかし廻りの若い人達に支えられながら、お陰様で元気に毎日を過ごしているようだ。今母が一番楽しみにしているものの一つは、私の姉の母校、捜真女学校(横浜)のバプティスト教会で、ボランティアの人たちが開いているお話とお食事の集まり「燦餐会」の会合に出席することである。
愛が「さんさん」と降り注ぎ、「SunxSun」と太陽も降り注ぐ、といった意味合いで付けられたこの会は、月一回の集まりだが、毎回志向を凝らしたプログラムが多いに受けている会合で、増える人数に関係者は嬉しい悲鳴を上げているとか。
お話あり、歌あり、手品あり等その都度の催物もさることながら、特に会の最後に出る薬膳料理は、シニアには又とない楽しみになっている。長い間自宅で、料理教室を開いて教えている姉が中心になって、献立を立て料理をするのは、ボランティアの人々にとっても参考になるとか。
こうした楽しい集まりがいつまでも続きますように、そしていつまでも母が楽しく通えますようにと、私は遠いトロントの街から思いをはせている。

さて拙著に関しては、この春、愛媛の松本様が点字訳をして下さったものが、点字図書館に入る可能性が出てきたことが嬉しいニュースだ。
こうなるまでには、川崎でシニア向けのパソコン教室(カルミアネット、http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/4402)を開いている祢津順子さんの熱意によるところが多い。私の姪が彼女と同じ教室で、インストラクターをしているのが縁でお知りあいになったが、そのバイタリティーにはいつも感心させられる。家族も仕事もボランティアもと頑張る日本の30、40代のパワフルな女性たち。その活躍に心からのエールを送りたい。
もちろんこちらでも同じように頑張っている女性は多いが、日本女性は自分の業績を余り声高に言わない。そして廻りとの調和を図りながら、黙々としかも完璧に物事をこなしているのだ。
先日ある会合で、娘さんが日本で仕事をしているというカナダ人男性との会話は面白かった。彼曰く「娘が言うに、日本の女性はどうしてあんなに器用にすべてのことを完璧にこなせるのか分からない」と驚いているとか。私がニンマリとほくそ笑んだのは言うまでもない。

*最近届いた読者からの感想:tenten氏(神戸)

初めまして。僕は神戸に住む24歳の男性です。宮松さんの本読ましていただき、とても感動しました。
宮松さん親子の生き方は僕には、とても元気付けられましたし、今から僕がこういういろんな体験ができる人生を送れるのか、と不安さえおぼえました。
実は僕も5月にカナダに行き、とてもカナダの土地が気に入り、とくにトロントとケベックはとても良く、帰るころには、絶対この地に戻ってこようと思っていました。
そして来年には、ワーキングホリデーのビザを取って行きたいと思っていたところに、宮松さんの本と出会うことができ、ほんとうになんでもやってみよう、だめならその時考えよう、と思いました。
〜後略〜


産経新聞は昨年12月の拙著出版の折に、すぐに取り上げて書評を書いて下さったが、つい最近(6月18日)ネット上で再度書評を見かけたのでここに転載させて頂く。

■書評 カナダ生き生き老い暮らし
67歳からの母の体験
日本のシニアの間で、退職後に長期滞在したい土地の上位はハワイ、そしてカナダであるという。
著者の結婚式にやってきたのがきっかけで、そのカナダに六十七歳から二十二年間も滞在し、八十九歳でふたたび日本に帰国した母親の一人暮らしを活写した記録。
  著者はカナダ在住のジャーナリスト。氷点下二十度の冬やシニアアパートでの生活、近所付き合い、健康管理から食料品の買い方まで、カナダの移民社会を鮮やかに描き出している。老後を海外で暮らそうと考えている人に、貴重な情報と知恵を提供する本だ。

▲トップに戻る
2001年5月11日
5月6日の日曜日は母の91歳の誕生日であった。こちらのシニアがよくふざけて、自分の年をいうときに「I am XX years young」という。つまり“old”を“young”に入れ替えるのだ。その手でいくと母は「91 years young」ということになる。元気にこの日が迎えられたのは、母を取り巻く多くの人々の温かい思いがあってのことにほかならない。
自分では「記憶力がめっきり駄目になって!」と嘆くが、どっこい、卆寿も終えたシニアにしてはまだまだと、我が母ながら誇りに思っている。隔週に開かれる「源氏物語を読む会」の読書会もいまだに楽しみにしている。記憶力と知識欲のDNAだけは何とか受け継いでいたいものよ、と願っているが、さて?
高齢者にとってはそれがどんな小さなことでも、日常生活の中で自分が人のためになっていると思えることは大切なことで、今の母の“仕事”はアイロン掛け。きれい好きな母には、よれよれのシャツやパンツを身に付けるのはご法度。「シワは私の顔だけで沢山!」と言いながら、今日もせっせとアイロン掛けに忙しい。お陰で姉の家族は大助かりだが、トロントのサンダース家は「おばあちゃん」コールがしきりである。

トロントは5月に入るや急に夏日よりになり、ハイパークの桜がパッと咲き、そしてパッと散った。
私はピンクの花は余り好きではないのだが、桜ばかりは咲きぎわと散りぎわを知っている見事ないさぎよさがなんとも気持ちよくて、好きな花の一つである。
  
この週末はもう一つ嬉しいことがあった。
私の本を点字訳してくださった愛媛県の松本俊江様が、ご夫君と一緒に出来上がった製本を届けにトロントまで来て下さった。年初頭にカナダ旅行を計画し、そのために「カナダ」という文字に敏感になっていた折、拙著に巡り会い「点訳を」とのお申し出を頂いたのが始まりである。
たかだか250ページほどの拙著も、点字本となると20センチ近い高さで、しかも4冊に分かれているのである。
原本の文字を一字一字丁寧に追い、間違いのないように仕上げる根気は並大抵のものではないだろう。
加えて、ご存知の方も多いと思うが、この手仕事はすべてボランティアである。松本様も本来は薬剤師で病院勤めをなさっておられ、点訳はその忙しい合間をぬっての仕事である。
拙著を最初にお読みくださったときに「(お母様の)丁寧に真剣に生きてこられた人生を感じております。自分の生き方考え方で、こんなにすばらしい人生にできるんだと、教えられました」というメールを送って下さったことから始まったお付き合いが、一つの形になったことに心から感謝している。
「こんなに楽しく点訳した本は久しぶりでした」と明るくおっしゃって下さったことに素直にお礼を申し上げ、そして一人でも多くの目の不自由な方が読んで下さることを熱望している。

*最近届いた読者からの感想:S.玲子

〜前略〜
「カナダ生き生き老い暮らし」なんと勇気つけられたことでしょう。わたしにとってカナダは身近な国。理由は簡単。英語の先生がカナダの人だからです。
彼女が話していたことと全く同じ言葉が、著書にあったのでびっくりしました。移住して来る人達の文化を尊重しているという点です。
私は今40歳ですが夫は死別しておりません。子供は二人。今は両親との5人暮らしです。
夢をもたねば生きていけません。死別して何年かたって私は心に決めたのです。きっといつか海外へわたり自分の目でいろんな暮しをみること。できれば自分のキャリアも生かしたい。
〜中略〜
夢は膨らんだりしぼんだり、、、をくりかえしています。でもあなたの書かれた本にめぐり合えてほんとうによかった。カナダで暮らす事の良いところも大変なところも書かれてあったから。
また夢を膨らませて一歩進むとします。ありがとうございました。

▲トップに戻る
2001年4月18日
4月上旬に「近著の出版にまつわるエピソードと、移住者のクリエイティブ人生」などと、少々口はばったい題でトロントの移住者、日系人を対象に講演会を開いた。
予定の45分を大幅に上回る1時間半ものおしゃべりになってしまったが、お越しく下さった方たちには、それなりに楽しんで頂いたようで嬉しく思っている。
母がここに住んでいたときにお近づきいただいた方、また拙著を通して母を身近に感じて下さった方といろいろだったが、移住者が一応に持つ問題は日本に住んでいる親のこと。
ここでも団塊の世代の人口が多く、「老親の問題」は人事ではない。そして自分もいつか行く道であることを思うと、改めて人生をどのように生きるかに思いをめぐらせるのももっともなこと。
お陰さまで母は今子どもや孫、ひ孫たちの庇護のもと、日本の春を楽しみながら暮らしている。

トロントは今日も曇り空、時々晴れの天気。暖かい春を心待ちにする市民には、このだらだらと長くて寒い季節がうらめしい。桜にはまだ半月の間がある。
日本の梅雨時と蒸し暑い夏はいただけないが、春と秋の穏やかな季節の移ろいは、ここでの生活がどんなに長くても懐かしいものだ。
そういえば今日は、ダウンタウンに近いハイパークと呼ばれる公園で、トロント日本総領事館が中心になって進めている「桜プロジェクト」の植樹式がある。
日本にいた時はさほど好きな花でもなかった桜が、異国に住むと、ことのほか懐かしく感じるという移住者は多い。
「さまざまなことおもひ出す桜かな」芭蕉の名吟がふと頭をかすめる。
  
最近届いた友人からの感想:O.ひろえ(石川県)

本、一作日手に入りました。一気飲みではなく一気読みしてしまいました。まず一言、すごく面白かった。すごく楽しかった。
文章に躍動感がありその場面に吸い込まれて行きました。次に何が飛び出して来るのかそして、その次にはと、ページを進めていく内に最後の1ページでした。
そして、読み終わった後には何かさわやかな元気をもらったような気がします。
書く事は自分との戦いのようなものです。文章が溢れるように生まれてくる日、時間だけがただ流れ一行も生まれない日...そのような積み重ねの中でこの“カナダ生き生き老い暮らし”を産み落された事と思います。
「立派な分身のお誕生おめでとうがざいます」思い切り大きな拍手を心からお届け致します。きっと読者に大きな元気を与えてくれる事と思います。
まずは一言、また感想のメール致します。

▲トップに戻る
2001年3月27日
昨年12月5日に初の書き下ろしを出版した。とても嬉しいことは、発売以来いろいろな出版関係者があちらこちらで書評を書いて下さっていることだ。またインターネットに関係している友人たちは、網の目のように張りめぐらされた情報網を使って宣伝をしてくれている。
そうしたことが功を成して、拙著は徐々に発売を伸ばし、1月中旬に2刷目、3月中旬に3刷目の増刷となった。ありがたいことと心から感謝している。
そしてその間には周りの沢山のお友達から、また見ず知らずの読者からいろいろな感想が私のもとに送られて来ている。
次に掲げるのはそのごく一部であるが、拙著に対する読者の思いを共有していただければこれにすぐる喜びはない。
もっと沢山の方々からの感想を載せたいと思いつつ、時間との戦いをしている毎日。
加えてもう一つ嬉しいニュースは、拙著を点訳したいとのお申し出をいただいたことだ。四国の愛媛県に住む松本俊江様とおっしゃる方で、すでにほとんど完成しているとか。目の不自由な方にもお読みいただけるなんて何にもましての喜びである。
可能なら将来そうした方からの感想を頂けたらどんなに素敵だろう。
▲トップに戻る