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カナダ次期首相選挙選
女王様はミンクがお好き!?
移民と難民の受け入れ
カナダの憲法「権利と自由の憲章」
イヌイットのためのヌナヴゥート準州誕生
ケベック州総選挙
BC州ニシュガ族の自治権獲得の歴史
カナダ総選挙
加・ケベック州、独立に「ノン」



カナダ次期首相選出
頑張る女性候補


政治家の公約
洋の東西を問わず政治家は、選挙前のキャンペーンでは、耳に心地よい盛りだくさんの約束事を並べる。その公約を当選後に、きちんと実行するかどうかは別問題なのだが、有権者はつい信じてしまう。

小泉首相は先日「再選されたら女性大臣をもっと多く起用したい」といった旨のことをある会合で約束していた。これがどれほど真実味を持った発言かは分からないが、女性たちの関心を引きたい胸の内は見え見えである。

いまだに「女性の数を増やしましょう」などと政治家が言うのは、日本の政界がいかにジェンダーフリーから遠い世界であるかを裏付ける証拠といえるだろう。

ひるがえってカナダを見るとき、女性起用云々を約束するなどは、もうほとんどありえないと思われる。理由は女性の政界進出が、いまや珍しいことでもなんでもなくなっているからだ。

しかし、実際の議席数に見る女性の割合は、いまだ満足のいく数字からは程遠い。連邦政府の下院で21%であり、州、準州レベルでは、一番多いところがケベック州の30%である。日本の国会議員(10%)や地方議員(7%)よりははるかによいとしても、とても北欧の国々のようなわけにはいかない。


古くて新しい問題
「時は21世紀。もうそろそろ少なくとも35〜40%を女性議席で占めてももいい頃ではないか」と問題を提起するのは、BC州の元副首相であるクリスティー・クラーク氏。

カナダでは1921年に初の女性連邦政治家が誕生して以来、すでに80年以上の歴史があるが、実際には最近の選挙での女性立候補者数は減っている。

女性の政界進出の後押しをする擁護団体「イコール・ヴォイス」では、7,80年代に大きく伸びた議席数以来、その数が伸び悩んでいることに苛立ちをつのらせている。「有権者も政界も女性政治家への偏見はまったくないのに、立候補する女性が思うように集まらない」という。

ではその足を引く大きな理由は何か? それは古くて新しい課題である「家庭と仕事」の両立の難しさに由来している。

「Blood Sports」とさえ呼ばれる政治の世界で、男女を問わず同等に駆け引きして行くには、24時間体制の仕事が要求される。女性の場合、家庭生活が犠牲になる可能性は大きい。加えて、政治資金確保の困難さもしり込みへ拍車をかけるようだ。

その結果、政治家への道を歩める人は、おのずとプロフェッショナルな仕事を持ち、妻が傍らでサポートしてくれる男性(主に白人)で、子供が2人ほどいるといった立候補者が大半を占めることになる。

女性の政界への道は自由に開けているにもかかわらず、こんな根本的な問題がいまだに足を引いている。日本とは違った意味で「いまだに….」という思いを感じる。


次期首相選挙
 カナダの首相は、5政党のうち一番議席数の多かった党から選出される。現首相のクレチェン氏(多数派政党の自由党)が来年2月に引退する予定なのを受けて、11月半ばに自由党の党首選が予定されており、この当選者が将来首相の座に着くことになる。

 絞りこまれた候補者は、長いこと現首相のブレーンの一人であったポール・マーティン氏(65)と、現ヘリテージ大臣のシエラ・コップス氏(50)である。

カナダではすでに、10年前の93年に短期間ではあったものの、初の女性首相が誕生している。今回のコップ氏は2番目の女性首相になる可能性をわずかながら秘めている。

カナダの首相職はアメリカの大統領のように、3選禁止の規定などはない。ちなみにクレチェン首相は、3回連続当選で11年近い任期をまっとうすることになる。

選挙の予想は正直なところ、コップス氏の勝ち目はまったくない。だが、女性進出が頭打ちの政界で、長いことその座を守ってきた彼女に声援を送る有権者は少なくない。

OCS Aug.29, 2003

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女王様はミンクがお好き!?


カナダは英女王が元首
世界で一番お金持ちの一人である英国のエリザベス女王は、今年即位五十周年を迎えたのを記念して、彼女を元首としている国々の幾つかを訪問している。

ご存知のようにカナダもその一つ。憲法はカナダ独自のものを作って20年になるが、国の体制はいまだにエリザベス女王がトップに立っている。

しかしいつもお忙しい身。ことあるごとに大西洋を渡ってお出ましはいただけないので、オタワには彼女の名代で「総督」と称される人がいる。

今この地位にいるのは、3年前にそれまで同棲していた男性と急遽結婚してこの職を得た、中国系カナダ移民で、エイドリアン・クラークソンという女性である。

彼女はすでに、TVのパーソナリティーとして顔を知られていただけに、いま「総督の名は?」と聞かれて知らないカナダ人は余りいない。アメリカで言えば、コニー・チャンがこの職についたようなものだ。

10月初め、12日間の予定で女王が50周年記念の訪加旅行をされたとき、このクラークソン氏はとても忙しかった。女王に同行したが、華やかな2人の女性たちは何処に行っても大歓迎を受けた。国民はうきうきとして有名人を見る楽しさを味わった。

カナダでの王室の必要性
だが女王訪加の一日目に、予期せぬ出来事が起こった。

それはジョン・マンリーという副首相兼大蔵大臣が、記者の質問に答えて「女王はその役目を立派にこなしている」とは言いながらも「もうカナダには君主制は必要なく、我々は独自の体制を整えるべきだ」と、いつも思っていることをポロリと言ってしまったのだ。

さあ、マスコミは多いに書きたてた。各方面からの批判は、“無礼で、粗野で、非紳士的で、エチケットというものを知らない男”ということになり、四方八方からの攻撃の矢に討たれた。

発言直後は秘書を通して「間違ったことを言っていない」と強気だったが、2日目には謝罪した。しかし「記者の質問の返事をもっとうまくかわせたらよかった」と付け加え、発言内容の取り消しはしなかった。

彼は以前から君主制には反対で、それに対しては舌鋒の鋭さで知られる政治家だが、立場から見てちょっとタイミングが悪かった、と言うことか。

しかし思い出してみれば、女王の夫君フィリップ公だってその立場に関係なく、思っていることをポロリと言ってしまうことでは有名だ。

いつだったか中国を訪れたときは、英国の留学生たちに会った際「この国に長くいると目が釣りあがってしまうのでは?」と言って多いにヒンシュクを買った。

動物愛護で英国は有名で日本の捕鯨漁には大反対だが、今回の女王は毛皮やミンクのトリミングが入ったコートを着ていた。

本音と建前が違うのはどちら様も同じという点から考えれば、マンリー氏もそれほど非難の対象にならない気がしてくる。


アメリカと一線を画す
この立憲君主制云々に関しては、マンリー氏に賛成のカナダ人は決して少なくない。2001年に行なった、大衆紙トロント・スターの世論調査では、26%がカナダは英国を離れ独自の方向に進むべきだとしている。

女王自身は気品を保ち一生懸命頑張っている印象を受けるが、昨今のスキャンダラスな事件が、王室全体の人気を下降していることは疑う余地がない。

だが「君臨しても統治せず」の女王は、カナダの「社会的基盤の安定を保つのに必要な存在」として意味こそあれ、何も傷害にならないとする見方は多い。

また昨年の9/11以降の、何かと議論をかもしている米国の政治姿勢と一線を画すためにも、女王の存在が大きいと言う人さえいる。

えーと、そうは言っても………、ブレア首相は誰の見方でしたっけ?

OCS NEWS Oct.25,2002

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移民・難民の受け入れ


右よりな移民対策
最近“世界の国々が右よりになっている”という評をよく耳にする。ブッシュ大統領を長としてのアメリカは言うに及ばず、ワールドカップの目に余る愛国心ぶりなども、時には粗野な感じでうんざりとさせられた。

と書くと、負け犬の遠吠えと聞こえなくもないが、そこには何か「自国愛」とだけでは簡単にすまされない、一抹の怖ろしささえ感じられた。

そんな折、先月末にスペインのセビリアで開催された欧州連合(EU)首脳会議では、不法移民対策として、難民申請者の認定手続きの共通化などが話しあわれた。これは加盟15ヶ国に共通の、移民・難民に対する政策の確立をするというものである。

またこれに先駆けてイタリアでは、EU以外からの外国人居住者への指紋押捺(おうなつ)を義務づける法案が下院を通過し、オーストリアでは、ドイツ語が不得意な外国人にたいする統合法案が閣議決定された。

オランダやフランスも右よりの指導者が、国民の指示を得ている。

経済が不安定になると、槍玉にあがるのはお荷物と考えられる、難民・移民であるのはどこの国も変わらない。

カナダにも多くのニューカマーズと呼ばれる移住者がおり、毎年多くの国から沢山の人々が移住してくる。時代にあわせて移民政策は変わるものの、政治的にニュートラルで、おおらかな国民性という印象のためか、カナダは世界の人々の憧れの国の一つになっている。

例えば2000年の例を挙げると、22万7千人がカナダを定住国と定めた。

しかし、彼らにとって移り住んだこの国が、予想通りのプロミスド・ランド(夢のかなえられる国)だったかといえば、残念ながら答えは必ずしも「YES」ではない。

右に記した国々のような、あからさまな右傾向ではないものの、移民受け入れ後の政策がうまく稼動していないことが、この数年大きな問題になっている。


移民・難民の活用
カナダは1980年代初頭までは、ヨーロッパとアジアからの移民の割合はほぼ同等で、そのほとんどのケースが、当地ですでに生活している人々が、親や親戚などを呼び寄せる形であった。移住者の教育は70%以上が高校以下だったという。

ところがその後10年ほどで、この数字は70%がアジア、20%がラテンアメリカからとなり、多くが熟練工で40%が大学卒業資格を有している。

つまりそれまでの、教育のない「移民」というイメージを大きくくつがえしたものの、皮肉なことに今度は高学歴がゆえに、仕事がたやすく見つからないというからくりに陥った。

本国では相当な地位のある仕事をし、社会的にも認められる立場だった人々が、意に反して、タクシーの運転手や夜警をしている話は、もうこの何年も日常茶飯に聞くことである。

なぜそのようなことになるかといえば、連邦、州、市町村レベルが上下左右に協力しながら、移民・難民を全体的に統合していく政策を取らないことにあるのだ。

例えば保持している学位、免許、資格等を再検討し、言語の教育に力を入れ、また就職の際の少数民族に対する差別待遇を失くすような試みを行なうといった動きが、残念ながら今のところ非常に希薄なのである。

またネックの一つは就職の際に聞かれる「カナダでの職業経験は?」である。まず自分の専門とする分野で一歩を踏み出さずに、どのようにして経験を積むのか不思議だが、これが難民となればもっと難しくなる。

加えて難民の子供たちの多くは学校に通ったこともなく、昨日まで戦場を駆け巡っていた子も珍しくない。カナダに来たからといって「さあ、今日から勉強ですよ」と集めても、それはしょせん無理な話である。一人の子供が移住国で自信を持って生活していくには、5〜7年のESL教育が必要と言われている。

すべては資金と人材をもとに、リソースフルな移民・難民をうまく活用していこうとするマインドが十分でないところに問題があるのだ。

仕事や勉学のために毎年8万人以上の人口流入があるトロントは、市民の53%が外国生まれという国際色豊かな街である。ここが移民・難民のゲットーにならないためには、国を挙げての綿密な政策が望まれるのである。

OCS NEWS July/2002

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「権利と自由の憲章」


20周年記念
カナダの国情を語るとき、決して避けては通れないものに「権利と自由の憲章」(The Canadian Charter of Rights & Freedoms)というの がある。これはカナダの憲法であるが、今年は成立20周年目にあたり、今各地でいろいろな祝典が繰り広げられている。

「えっ、まだ憲法が出来て20年しか経っていないの?」と思われる向きも多いかと思うが、そう、カナダは事ほどさように新しい国なのである。

当然ながら以前にも憲法はあったものの、それは1867年成立の英国憲法の伝統を受け継いだものであった。

新憲章はアメリカの「Bill of Rights」に指摘するものであるが、方や200年の、方や20年の歴史である。

もちろん出来立てのほやほやというわけではないが、まだその成立の過程をつぶさに覚えている人は多い。特に当時法学を勉強していた大学生などは、将来自分達がかかわるであろう事件の解決に、これがどのように影響してくるのか興味津々だった。今や列記とした弁護士になっている多くの人たちは「大変なドラマだった」と当時を振り返る。

旧憲法からの変化は幾つもあるが、今ことあるごとに国民が耳にするのは、第15章に述べられている「すべての個人は、法の前及び法の下において平等であり、差別されることなく、とりわけ、人種、出身国もしくは出身民族、皮膚の色、宗教、性別、年齢又は精神的もしくは肉体的障害により差別されることなく、法の等しい保護及び利益を受ける権利を有する」という点である。以前にはまったく無かった部分だ。

国の政策がいろいろと変わるときには、必ず賛否両論が聞かれ、それぞれに言い分を主張する。どの場合も国民全部を満足させることは出来ないものの、お互いの立場を理解し解決策を得る。それがデモクラシーというものだろう。

だが両者の言い分をすべて聞いていてはいかなる政策も成り立たない。最後にはいわゆる「ごり押し」がまかり通るのもまた事実である。

カナダ憲章も成立以前に40年余りの紆余曲折、試行錯誤を経て、詰めに詰めを重ねた。最後の2年ほどは議論が大沸騰し、ケベック州の猛反対の中、押しに押した故ピエール・エリオット・トルゥドー元首相によって、改正の成立を見たのである。


カリスマ政治家
この歴史的大変革の立役者であった彼は、2年半ほど前に亡くなったが、後世に名を残す政治家のトップに挙げられている。彼についての評価はそれぞれの立場の言い分があるが、なんと言っても政治家には欠かせない、カリスマ性の持ち主であったことは誰もが認めている。

またミーハーならずとも国民が知りたい、覗きたいという公人の私生活に、実に鮮やかな彩りを添えた人であった。

育ちがよく、実力があり、その上おしゃれな男性に、女性が憧れるのは世の習いとか。バーバラ・ストライザンドを始め、多くの女性と浮名を流し、独身を通すかと思いきや、突如52歳にして29歳年下のフラワーチルドレンの申し子であった女性と結婚。そして3人の男の子が生まれた後離婚した。

今はそれぞれに成長した子供であるが、三男は父親が亡くなる1年ほど前にロッキー山脈で雪なだれにあって死亡。山の湖に深く沈んだ遺体は、今もって発見されないまま眠っている。この事故がトルゥドー氏の死を早めたとも言われている。

しかし71歳の時には、恋人であった憲法の専門家である若い女性との間に女の子が生まれている。

2年半前のお葬式の日に、血族関係が全部が集まったのは当然としても、元妻、元恋人たちは形式通り黒の式服で出席かといえばとんでもない。ブルーや茶色のコートあり、花模様のスカートありの自由さ。世間のしきたりなどと言うものに縛られないのは、カナダ憲章と同様に、国の歴史の浅さに伴う「若さの特徴」なのかもしれない。

OCS NEWS : May 10, 2002




イヌイットのためのヌナヴゥート準州誕生


4月1日に発足
 今カナダは国の地図の書き換えにおおわらわである。

 理由は、今までノース・ウエスト・テリトリー(NWT)と呼ばれていた北極圏内の準州のほぼ東半分が、4月1日付けで分離し、ヌナブゥート準州として発足したからである。これによってカナダは、10の州と3つの準州から成り立つ国になった。
 ヌナブゥートとは北方先住民のイヌイットの言葉で「我らの土地(Our Land)」という意味で、その面積はカナダ全土の約1/5(2百20万平方キロ)に当たり、人口は2万5千人弱、首都はイカルート(Iqaluit)である。

  この歴史的な新準州誕生の陰には、民族主義推進の長い歴史があるが、それは決して平坦なものではなかった。
 地図を見て分かるように、この地方は地理的な隔たりがあるため、カナダ政府は1939年までイヌイットの生活圏に関して事実上無視した状況にあった。

 だが大戦後、資源開発や軍事施設の建設などで政府との関係が接近し、62年に初めてイヌイットに参政権が与えられた。
 しかしオタワとの距離が縮まることにより、何代にもわたって自然と共存しながら営々と生活してきたイヌイットの土地の権利に関して、大きな問題が浮上し、長い闘争が続いたのである
 今回の分離はこの30有余年にわたる交渉の末にまとまったもので、その人口の83%がイヌイットという、文字通り先住民族が支配する準州である。

  しかし準州というのは、あくまでも連邦政府の行政区域の管轄下に存在することを意味するもので、厳密には自治州ではなく、一般の州と比べ連邦政府への依存度が極めて高い。
 またヌナブゥートには政党が存在ぜず、2月半ばに住民による初めての準州議会議員選挙が実施され、当選した19人の議員の互選によって準州首相が選ばれたのである。

初代準州首相
 最多票を得て初代首相に当選した34歳のポール・オカリク氏(写真)は、英語とイヌクティアット語のバイリンガルで1ヶ月余り前に弁護士になったばかり。続いて準州議員に当選し、首相の座を得たゴールデンボーイで「非常に誇りに思います」とその喜びを隠し切れない様子で宣誓式に臨んだ。

 人口のたった27%が高卒という教育に関心の薄い土地柄では、大卒で弁護士になるというのはまれに見る努力の結果だが、オカリク氏も他の多くのイヌイットと同様に、ティーンエイジャーのころには飲酒問題で警察に捕まり懲役刑に処せられたこともある。

 ヌナブゥートの社会問題は過度の飲酒、自殺、性犯罪に集約されるが、加えて20%以上の失業率とそれに付随するウェルフェア(生活保護)への依存問題が大きい。
 だが若いオカリク氏は「前向きに挑戦」と多難な前途に向けての構えを見せている。  また準州には多くの埋蔵量を誇るダイヤ、金、オイル、ガスなどがあり、今後どのように開発し経済発展に寄与していくかその手腕も問われるところである。

NW準州
 一方切断によって残された西半分のNW準州(人口4万人弱)は、ヌナブゥートよりチャレンジが少ないとはいえ、やはり大きな変化であることに間違いない。

 新準州との目だった相違はその人口構成で、ノン・アボオジナルが52%を占める。先住民はデネ族(28%)が主で、イヌイットはわずか10%ほどだが、公用語は9つもありその多彩な背景が伺われる。また気質としてはおっとりとしたイヌイットに比べ、荒っぽいフロンティア精神の持ち主が多いとも言われる。

  経済的には、大分発掘されているものの、金やダイヤモンドなどの自然資源がまだ豊富なこととや、観光にも力を入れている点が特筆される。
 特に日本からオーロラを見にくるツーリストが、観光収入の大きな部分をしめており、去年だけでも数千人以上がこの地を訪れたという。

OCS NEWS No.600 Apr.9,1999




ケベック州総選挙


選挙日11月30日
 カナダ10州の中で一番大きな州であるケベック州が、11月30日に総選挙を行なうことになった。
 一般的に言って他国の地方選挙などは、公私のどちらかでその土地と何等かの関係がない限り、外国人は余り興味を示さないのが普通のようで、アメリカの地方選挙でさえ例外ではないと聞く。
 ましてやカナダの一州となれば「で?」なんて言われそうだが、ケベック州の場合は、たかが州選挙では済まされない面がある。「何が?」と問われれば、それは戦っている2人の候補者のどちらが勝っても、その結果がカナダという国の将来を大きく分ける運命を背負っているからだ。

 周知の通りカナダは建国以来英国系とフランス系の2大対立が延々と続いている。
 ケベック州はそのフランス系の人々が一番多く住む州で、国で定める2公用語のうちフランス語が第一言語となっており、また「ケベックの独自性」を国は認めているのだが、それだけでは空き足らず、連邦から分離して独立したいと長い間思っている州である。

 とは言え、どの党の誰が州政権を取るかによってこの問題は棚上げされたり、遡上に乗ったりとめまぐるしく変わる。しかし今までもまたこれからも、分離派には分離派の、連邦派には連邦派の言い分があり、「SOVEREIGNTY(独立国)」という問題が持ち出されるたびに、分離派も連邦派もそれぞれの立場を主張するのである。

  さて、今回の州選挙はこの4月連邦保守党首から、ケベック州自由党党首に変わった若干40歳の、分離反対派のジャン・シャレー氏と、彼より20歳年上で分離派の、ケベック州首相(ケベック独立党)ルシアン・ブシャー氏との間で争われている。

  つまりシャレー氏が当選すれば統一カナダの面目が保たれるが、ブシャー氏が勝てば、かならずや近い将来、ケベックが分離する方向に大きく動く可能性が今までと同じように極めて高いのである。

ルシアン・ブシャー・ケベック州首相
 ケベック州は過去2回分離するか否かの州民投票を行なっている。先回のは95年で、この時はわずか1.2ポイント(反対50.6%、賛成49.4%)の少差で敗れ独立の夢は流れてしまったが、もちろん今でもそれを望んでいるフランス系の人たちが沢山いる(10月の調査では反対52.1%、賛成47.9%)。

 ブシャー氏が現ケベック州首相になったいきさつは、この95年の州民投票を指揮した当時の首相パリゾー氏が、小差で否決された悔しさからその理由を「金(反対派の多い経済界)とエスニックの投票のため」と口走ったことに始る。この一言はパリゾー氏の命取りになり、翌日辞任に追いやられたのを受けて、ブシャー氏が連邦政界のケベック独立党党首からケベック州のケベック党党首に横滑りし、そのままケベック州首相に就任したのである。

  カナダでは連邦も州も政権担当期間は5年だが、ぎりぎりまで政権にしがみ付いて選挙をすると敗退するケースが多いため、4年目までに行なうのが通例だ。
 先回の総選挙(94年9月)から数えて4年2ヶ月の今、横滑りで得た地位ではなく自分自身の力で選挙を戦って見たいからと見られている。その背景には現在ケベック州民の間で、ブシャー政権の支持が予想以上に高まっているという事情がある。しかし党内の慎重派からは、ケベックの財政政権の目途が付く99年まで待った方がよいのではという意見も聞えてはいる。

  今回の選挙公約は、州財政の立て直しや経済、社会、厚生政策を主なテーマにしており、分離・独立問題を前面に出してはいない。
 だがブシャー氏はこの問題を忘れた分けではなく、むしろ今から3年後辺りの2001年頃を目途に、確実に勝利する準備を整える期間を設けているに過ぎない。つまり今回の州選挙は、第3回州民投票に必ず勝つための足踏みの第一歩と言えるのである。

ジャン・シャレー自由党党首
 州内の政権支持の高いブシャー氏に受けて立つ分離反対派のシャレー氏には、これは相当の接戦を強いられる選挙になる。

 彼の選挙に対する新路線は、良く知られているケベックのナショナリズムを拭い去り、フリー・エンタープライズを軸にしたケベック社会を造るべきだという主張である。ケベック州というのは他の州と異なり、投資、年金機関などあらゆる分野で政府とのつながりのある企業が多く「ケベック・インク」と指摘されている。これは戦後のケベック近代化の大元になった「静かな革命」と呼ばれる伝統で、彼はそれに訣別しようという呼びかけいるわけだ。

言い換えれば政府の民間事業への介入を縮小し、大幅な減税を政策目標としているのである。だが逆にいえば、政府の息がかかっているがために今日のケベックの発展があるともいえる分けで、それを否定するのは政治的に大きな懸けと見る人も多い。

 しかし95年の州民投票の時には、彼は脇役ではあったが、連邦派の辛勝に大きな役割をはたしたために、ケベック州民の間での個人的人気もまた極めて高いのである。
 もちろんいずれの選挙の時もそうであるように、どちらが勝つか最後まで分からないものの、シャレー氏が勝てば、カナダ連邦政府は分離の悪夢に悩まされずに21世紀を迎えられるだろうし、逆にブシャー氏が勝てばこの国の将来の見取り図が大きく変わることが容易に予測される。

  加えて負けた方はその政治生命を完全に絶たれることになる。分離派の旗手としてケベック政界を率いるブシャー氏、国の統一を目指して連邦政界からケベック政界に転じたシャレー氏。どちらも一歩も譲れない立場にある。

  モントリオールのある新聞のコラムニストは「まるでどちらかの死によって勝利が決まる古代ローマ時代の闘技士のようだ」と評している。

OCS NEWS No.591 Nov.20,1998




ブリティッシュ・コロンビア州ニシュガ族の自治権獲得の歴史


歴史的調印
 カナダで初めて、インディアン部族(ニシュガ族)の土地所有権、自治権を認める地域が、太平洋岸のBC州に誕生し、8月4日に連邦、州政府を交えた三者の間で調印式が行なわれた。

 場所はバンクーバーから約千キロ北西にあるニュー・アイヤンシュ地区の、ナス渓谷の南側に位置する一角。広さは本来のテリトリーの1/10以下しかない面積だが、この調印は百年以上の長きに渡っての交渉の結果成立したものである。


  別記の一覧が主な取り決めの内容だが、歴史のうねりが大きく変わる時の常として、すでに各方面からの賛否両論が聞かれる。まだこれから細部のつめが行なわれるが、かなりの難航が予想される。

 とはいえ、この調印はもちろん大きな前進である。だが最終的に条約が批准されるには、ニシュガ族の部族投票をへて、BC州議会やオタワの承認を得なければならない。
 カナダにはヨーロッパからの白人が移り住む前からの先住民が――言って見ればこの人たちが本当のカナダ人と言えるのだが――数え切れないほどいる。今回の調印に至るまでには、単独にニシュガ族だけが連邦、州政府と交渉したのではなく、50以上ものインディアン部族が関与している。 将来彼らが同じように独自の権利を獲得する上にも大切な意見交換である。

インディアンの歴史
 歴史をさかのぼると、ニシュガ族が最初に州を相手取って土地所有権についての交渉を始めたのは1887年。考えて見ると千年以上も自分たちが住んでいた場所の権利について、後続の支配者である白人に交渉するというのもおかしな話だが、当時のウィリアム・スミス州首相は「自分たちが入植した時には、お前たちインディアンは獣よりちょっとましなだけだった」といって要求をはねのけた。

 その後1970年代の半ばころまで先住民の権利は一切退けられたが、このあたりから、国が条約の話し合いに応じる意向を示し始めた。そして2年前に基本的事項の合意に達し、今年になってやっと法的な手続きを踏むまでになったのである。

賛成派
 調印式に臨んだニシュガ族のチーフ、ジョー・ゴスネル氏は、人生のほとんどを自治権闘争に費やした人だが、「土地の所有権争いのために死んでいった年寄りたちが沢山いるが、それでも今日生き残っている老人がこの式典に出席しているのは嬉しいことだ」と喜びをあらわにし、長い争いの期間を共に生きてきた人々の労をねぎらった。

 それぞれの思惑が入り混じった両極端の意見をまとめるのに、どれだけの譲歩や駆け引きがあったかは容易に想像できる。しかし双方のカルチャーの壁を乗り越えて、合意に達したことに賛成派は惜しみない拍手を送っている。
 またニシュガ族の若者たちにとっては、自分たちがただの先住民ではなく、一つのソサエティーに属する可能性が生れたことは、大きな心の支えになるという。

反対派
 一方今回の調停を真っ向から反対しているBC州の自由党や改革党は、「ニシュガ族に多くを与え過ぎている」と言い、また関与している他のインディアン部族側の言い分は、「ニシュガ族の取り分は余りにも少なすぎる」と主張する。

 同じように独自の権利を主張する他の部族にとってこの同意は、いろいろな意味で前例を示ことになるため、ここでも各方面の意見が交差する。
 資源等にからむ経済的な立場から見ての反対意見もあるが、自由党や改革党は一つの種族にのみ特別な権利を与えることに強い懸念を示し、州民投票をすべきだとも主張するのである。

 こうして異なった意見はあるものの、世界を見まわした時に、自分たちのアイデンティティー確立のために、多くの人種間で血生臭い争いが繰り返されている中、平和的な交渉で解決に向けての話し合いが進んでいることは、まことに賞賛に値するといえるだろう。

基本条約
1.約二億ドルの条約基金の支払いを受ける
2.ナス渓谷下流の約二千平方キロに渡る土地を所有しその権利を有する
3.領土内の資源(特に森林、鉱山、漁業など)を所有する
4.税金免除の特典が解除され支払いを開始する
5.約五千五百人がニシュガ族として認められる(族としての条件は先祖の中にニシュガ族の女性がいること)
6.カナダの憲法によって保護されるが、それと調和の取れた独自の法律を作成する(各種の刑法、自由と権利に関する憲章、言語、文化、ソーシャル・サービス、 雇用、交通などに関する法律が加味される)
7.保護地区という郵便スタンプは解消される
OCS NEWS No.585 Aug.28,1998




カナダ総選挙1997年


 あなたはカナダの首相の名前を知ってますか? いやもし知らなくても「恥ずかしながら...」なんて恐縮することはありません。あなたに限らず、アメリカ人でさえ幾人の人がすぐに「ジャン・クレチェン!」なんて言えるでしょうか? 「本当にそうかな?」なんて思うなら回りのアメリカ人の友だちに聞いてみてください。

カナダの国とカナダ国民
いや別にアメリカ人がカナダの首相の名前を知らないからと、自虐的になっているのではないのです。でも同じ北米大陸に位置する隣国の首相の名前さえ知らないアメリカ人が多いのなら、地球の裏側の日本の首相が知られていないのは当たり前のことと言いたいのです。あの見事なまでに櫛の通った、おくれ毛の一本もない、ポマードてっかてかの頭をかざしてワシントンを訪問しても、アメリカのマスコミがほとんど騒ぎ立てないというのは当然のこといえるのではないかと思うのです。

  でもカナダは地球の裏側ではないのだからと思うとちょっとがっかりもするのですが、これはアメリカ人が無知なのか、はたまたカナダも日本と同様に存在感が薄いのか分かりません。まあそれはさておき、米加両国は政治的にも経済的にもそれは深い関わりを持っていて、輸出入とも一番の相手国がこの2国間です。 しかしよく使われる例えは、象と蟻の関係や、一方がくしゃみをすると一方が風邪を引くなんていうものです。どちらがカナダでどちらがアメリカかいわずと知れたことでしょう。

  面積はロシアについで世界で第2に広く(日本の27倍)、そこにわずか人口3千余万人ほどが住んでいるのですが、その約3/4はアメリカとの国境線沿い300KM以内に集中していて、行政区分は10の州と2つの準州から成り立っています。また今から2年後の1999年には、2つの準州の一つノースウエスト準州から新しくヌナブゥート準州とういのが分離独立する予定です。
 もちろん北の方はツンドラ地帯で人が容易に住める地域ではありませんが、でも何しろこれだけ広い国にアメリカの1/7くらいの人口しか住んでおらず、またアメリカに比べその歴史は約100年くらい若いので、同じ北米大陸に位置する国といってもダウン・サウスとかダウン・ザ・ボーダー(カナダ人は国境の南の国、つまりアメリカをよくこう呼びます)とは大分異なります。

 特に文化的にものすごく違いがあるのですが、まあ一口にいうと人々の考え方とか生き方がここは保守的で、ダウン・サウスのように開放的ではありませんが、似ていて異なる両国の違いはどちらがいいとか悪いとかいえるものではないでしょう。

  でもよく耳にして面白いなと思うのは、カナダ人は外国に出ると(特にヨーロッパ諸国)ことさら「カナダ人だ」ということを強調してアメリカ人と一線を引きたがるのです。何故かというと、この「カナダ人だ」という一言によって相手の態度がガラッと変るからだとか。
 ハンバーガーとポテトチップス以外を食物と思わないアメリカ人、外国文化を余り介さないアメリカ人、センシィティビティーのないアメリカ人とか、いろいろとあるネガティブなステレオタイプのアメリカ人像の一人に加えてもらっては困るというわけです。

 さてそれでは何をしてカナダ人はカナダ人と定義ずけられるのかというと、これはまた非常に難しいものです。
 米国が「人種のるつぼ(melting pot)と言われるのに対し、カナダは「人種のモザイク(mosaic)」と形容されます。つまりアメリカの「るつぼ」は融合しあうが、カナダの「モザイク」はそれぞれの形を大事にして独立していることを指しているわけです。
ですからここにはいろんな国から来た人たちが、いろんな文化を持ち込んで、いろんな言語をしゃべり生活しています。もちろんアメリカもそうですが、カナダはぐんと歴史が浅いだけに、例え「自分はカナダ人だ」という人にも「元をただせばあなたの先祖も何処かの国から来た移住者。根っからのカナダ人はイヌイットとインディアンだけですよ」と言えば反論はできません。

 ちなみに公用語は英仏両方で、英語系66.3%、仏語系23%となっています。
 でもその国策のモザイク文化主義がよいのか悪いのか簡単にはいえないのですが、それが政治問題に発展しているのがケベック州の独立問題です。英語を話すカナダ人と仏語を話すフランス系カナダ人との溝は深まるばかりで、95年10月に行なわれた第2回目の独立を問うケベック州民投票では、賛成49.4、反対50.6というわずか1.2ポイントの小差で一国を築く夢が破れました。このため98年に予想されるケベック州の選挙で、またくすぶっている分離問題がでてくる可能性があるのです。

連邦総選挙
自由党(LP/リベラル):
 さてカナダには幾つの政党があるかご存知ですか? 米国のようにシンプルではなく、別表の議席数と党首の顔写真を見てお分かりのようにここには5つの政党があります。

 まず今回の下院選挙で連続2期目の政権を獲得した与党は、クレティエン首相率いる自由党が155議席を取りました。過半数(151議席)よりわずか4議席多いのみで、解散時に比べ19議席も少なく、かろうじて過半数を制したといったところですし、首相は自身の出身地でも苦戦を強いられました。しかし全国的に見れば確かに自由党だけが全国政党ですが、この議席ロスは今後の政党運営に大きな影響を与えるでしょう。

 下院の任期は普通4年(首相が望むなら5年)ですから、一期を半年から一年半(前選挙は93年10月)も繰り上げてのこの選挙に国民はビックリしたのですが、その背景には前述したようにケベック州の選挙が来年に予想されるため、できるだけ早い時期にケベック分離を反対しているフェデラリスト政党として、地盤固めておきたいと思ったのだろう、というのがもっぱらいわれていることです。

 一期在任中の3年半の間に行なった大幅な財政赤字の削減を「やりすぎ」と見る国民も多いなかで、解散時に40%以上という高い支持率を得ていたにのに気をよくしていました。でも公約の「JOB、JOB、JOB]は約束通りに行かず、依然9.6%という失業率を維持していることや、GST(7%の物品・サービス税)撤回の約束も果せなかったことが、今回自由党不信の国民気質を反映したと思います。

 しかしカナダでは、同じ党が過半数以上の議席獲得によって2期連続政権を取るのは44年ぶりで、首相はこの3年半の間に「イタリアは3人、日本は4人も首相が代わったのに比べると、カナダはとても安定していてる」と自画自賛。
 今後4年あるは5年間の任期を終える時は、21世紀が始まっているため「この新しい世紀に向けてすべての政党や支持者が国作りに共同でとりくまなければならない」と国民に呼びかけています。

改革党(RP/リフォーム・パーテイー):
 10年前にアルバータ州で結成され、カナダ西部緒州(ブリテッシュ・コロンビア、アルバータ、サスカチュワン、マニトバの4州)のみに支持率基盤を持つ右派系の党で、今回は何としてもオンタリオ州に食い込みたかったのですが、支持は得られませんでした。しかし議席数を前回の52から60に増やし、野党第一党になったことは党にとっては快挙です。ケベック州の独立には非常に厳しい態度を見せていて「もしカナダに残留したいと思う連邦支持者がケベック州内に多ければ州自身を分割することもありうる」といった意見を持っています。また中央平原州以西では、今まで政治的主導権が常にオンタリオやケベック州出身の政治家に握られていて、西側の要求が中央に通じないといった思いを感じている人が多く、この「反中央/反ケベック」の党は東のケベック独立党と裏表一体になっているのです。

進歩保守党(PC/プログレシイブ・コンサーバテイブ):
 伝統的に2代政党の一翼をになってきたにもかかわらず、93年の選挙で惨敗し2議席しか取れず、この3年半全く陰の薄い存在でした。クレテイエン現首相の前は進歩保守党が与党で、ブライアン・マルルーニー首相が2期務めたのですが、彼は退任時に至上最低といわれる人気だったため、その陰をまだ引き摺っているのがこの党の不人気の一因といわれています。今回は20議席取れたものの、これは5党首のディベイトでシャレー党首が頑張ったからで個人的な人気が挽回の要因のようですが、それでも西側3州の支持は得られませんでした。

 選挙戦で約束したタックス・カットと小さな政府という党の公約が何だか余りにも出来すぎた話だという人が多かったようですが、いずれにしても国会での質疑応答で認められるオフィシャル・パーテイーになるのに必要な最低12議席を得られたことは大きな躍進です。

  選挙が終わった後、東側の支持を得られなかった改革党があの手この手でこの党に求婚を申込み、何とかして自分の方に振り向かせようとおちょっかいを出しています。つまりPCと組むことで州の独立を望むケベック独立党と立ち向かおうという魂胆なのです。
 PCのケベック州に対する考えは、独立は望まないものの英語圏とは違うその独自性(「特別な社会」と言われる)を認め、それがあってこそカナダのカナダたるものだという意見を持っています。

新民主党(NDP/ニュー・デモクラチック/パーテイー):
 5党の中で唯一女性を党首に持っています。PC党と同じように全くパワーのなかった党だったのが、議席数を9から21に増やし、これによって5つの党がすべてオフィシャル・パーテイーになりました。
 国民が今一番心配しているヘルスケア、メディケアに力を入れること、失業率を5.4%まで下げるという公約が国民の歓心を買い、余り知名度のなかった党首であったにもかかわらず、12議席も増やすという勝利をえたわけです。特に東側(ノバスコシア、ニュー・ブランズウイック州)での活躍が大きな話題になっています。
 当選したの夜の演説で「今日は新しい歴史が作られ、そしてこれから4年の任期の間に我々の党は今までとの相違を示すでしょう」と述べました。

ケベック独立党(BQ/ブロック・ケベックワ):
 唯一ケベック州のみに存在する政党で、今回は54から44に議席を減らし、このため60議席を取った改革党に野党第1党の地位を譲りました。これは95年の州独立選挙でカナダに留まりたいと望む州内の反対側の意志が示されたと見られています。

 しかしブシャール・ケベック州首相は、これは独立派が負けたということではなく、反って反対派との間の溝の深さを示したことになり「もう我々は独立するっきゃない」と言っています。
 これは卑近な例に例えると、丁度お互いの主張を譲らない離婚協議中の夫婦のようなもので、どちらにも言い分があり、どちらもが権利を主張しているので、今までも、またこれからも延々と続く闘争と思われます。

  ただ独立問題が表に浮上して来ると、当たり前ながら「一体カナダはどうなるの?」と不安を持つ外国の投資家たちが、ビジネスを差し控えたり、経済的な方面にパワーが向けられないため国の弱体化を呼びます。

  では何故フランス系カナダ人がこれほど独立にこだわるかといえば、遠い昔(240年くらい前)戦争によって、フランスの最大拠点であったケベック、モントリオールが、英国人の手で陥落しそれ以後英領化したことに恨みを持っているのです。そして自分たち仏系カナダ人は英系カナダ人とは絶対に相容れられないのだと信じています。
でもそれなら文化の全く違う、そしてカナダの原住民であるイヌイットやインディアンの権利はどうなるのかということになり、ケベック州独立となれば彼等が黙っているわけはなく、英語で言う"BLOODY MESS"になることは確かです。

党首の横顔
年齢 出身地
ジヤン・クレテイエン自由党党首 63歳 ケベック州、シャウイニガン、 何と19人の兄弟姉妹の18番目として生まれ、苦学の末に弁護士になった話は有名。29歳で国会議員に当選して以来、蔵相、法相、外相などを歴任し、政治家としての経験は十分。90年に自由党党首、93年10月の総選挙で政権を取り首相になった。
 同郷出身のアリーヌ夫人は彼のご意見番といわれ、今回の選挙後も党首としての演説の前に、常に人々の目に晒される公人としての生活の大変さと、長い間のサポートに対し心からの感謝を言い喝采をあびた。成長した3人の子供がいる。
プレストン・マニング改革党党首 54歳 アルバータ州、カルガリー エドモントン市の近くのポピユラリストの酪農家の家庭に育ち、亡父はソーシャル・クレジット党党首(現存しない)であった。大学卒業後はビジネス界に身を置いたが、10年前に改革党を組織し党首として西側の州の人気を得ている。
 深い信仰を持ち(プロテスタント)、家族の価値観を重んじる生き方を貫いており、最近結婚30周年を祝ったサンドラ夫人との間に5人の子供がいる。5党首の中で唯一フランス語が話せない。
ジヤン・シャレー進歩保守党党首 38歳 ケベック州、シャーブロック ポッチャリと太り気味だったのを選挙前にスッキリと痩せて変身。若さとチャームで迫ったのが受けたといわれるが、何しろ2議席しかなかった政党だけに、選挙公約など何とでもいえる強みがあった。弁護士出身であるが政界入りは早く25歳の時。デイオン夫人との間に子供は3人。
アレクサ・マクドーノー新民主党党首 52歳 ノバスコシア州、ハリファックス 父親の社会民主党へのサポートなどが影響して、政治的な雰囲気のある家庭に育ち大学卒業後は州の社会保険局に務めていた。
 政治家としてのキャリアは79年ころから始まったが、知名度は余りなく今選挙もそれがネックになっていたが、議席獲得の意外な結果に一躍脚光を浴びている。
 離婚しているが、成長した2人の息子が選挙戦で大活躍。
ジル・ドゥセッペ・ケベック独立党党首 49歳 ケベック州、モントリオール  もと共産党員で政治家としての経験は長いが、まだ党首の座に就いてからは日が浅い。しかしケベックではだれが党首になっても「独立」という大義名分があるのでやって行けるとも言われる。はっきりとした物言いが特徴。英仏バイリンガルである。
 ヨランデ夫人との間に2人の子供。


党派別獲得議席

今回 前回
自由党 155 177
改革党 60 52
ケベック独立党 44 54
新民主党 21
進歩保守党 20
無所属
OCS NEWS Jun.,1997




加・ケベック州、独立に「ノン」
人種・性差別発言/分離派が自滅


カナダのケベック州で湧き上がった独立運動は、州民投票の結果、否決された。その過程を追ってみると、人種問題や性差別に絡む発言が随所に飛び出した論戦が展開され、投票結果にも少なからぬ影響を与えたようだ。

経済的自信が背景
10月末に行われたカナダ・ケベック州の分離独立を問う州民投票は、わずか1.2ポイント(反対50.6%、賛成49.4%)の少差ではあったが、独立反対派が勝利を収め、「統一カナダ」の面目が保たれた。
アメリカの「メルティング・ポット政策」(るつぼのように国内で人種民族の融合を図る政策)とよく対比されるカナダの国策は「モザイク文化主義」。これは世界各国の移民が、それぞれ自国から持ち込んだアイデンティティーを大切にしながら、仲良くやっていこうという考え方である。

今回独立を勝ち取れなかった仏語系カナダ人たちも、もとをただせば350年ほど前にフランスから来た移民である。当時はヌーベル・フランスと称する仏国の植民地化で繁栄を見たが、その後18世紀半ばに英軍に敗れ、以後表舞台に出る機会がないまま今に至る歴史を持っている。

くすぶり続けている積年の恨みや、文化・言語を異にするために起こる意識の差が、国の多数を占める英語系カナダ人との対立をもたらすことが多い。ここに来て15年ぶりに、再度民族独立の機運が盛り上がったのは、独自の文化を失う危機感ばかりではなく、仏語系カナダ人の経済的自信が背景にあった。
加えてケベック独立の夢を30年来持ち続けていたパリゾー・ケベック州首相と、州民に絶大なる人気のあるケベック連合のルシアン・ブシャール党首という強力な2人のリーダーを得たからである。

現在ケベック州はその住民の8割がフランス語を母国語としているが、それこそモザイク文化主義を反映してエスニック(異民族)の人々も多く、そのバックグランドや言語はさまざまである。したがって「ケベック人とは?」の定義となると非常に難しい。

もちろん一般的には、ケベック州に住む州民はすべてその対象になると考えられるが、今回“イエス(独立)派”の集会で指導者たちがポロリポロリと失言した言葉を寄せ集めてみると、ケベック人とは“仏語を話す白人”というイメージが浮かび上がってくるのだ。
それを最も裏付けた発言は、分離独立が少差で否決された直後のパリゾー・ケベック州首相の演説である。「金(反対派の多い経済界)とエスニックの投票に負けた」の一言は、コメンテーターとして出演していたオンタリオ州のボブ・レイ新民主党党首が「お酒でも飲んでいるのか」と思わず言ったほどの驚きをもって受け止められた。当然嵐のような非難を浴びパリゾー氏は翌日辞任。
彼は元々ケベック州が独立できなければ辞めるつもりでいたとはいうが、この発言の影響は自明の理である。

「自尊心傷付けた」
またこれに先駆けて、投票前の舌戦中にブシャール・ケベック連合党首もケベック女性の少産化を憂える発言で論議を巻き起こした。いわく「ケベック州にこれほど子供が少ないのはおかしい。我々ケベック人は白人種の中で最も子供の数が少ない人種の一つである」と言ったのである。
独立反対派のクレチェン首相はこれを受けて「ケベック人とはフランス語を話す白人のみを指し、そしてもし女性ならもっと子を産まなければならないということなのか」と非難した。

各方面の女性団体や少数民族のグループから抗議が殺到し、「ケベック女性の自尊心を傷つけた、品位を落とす侮辱的な発言」「白人女性の少産化が問題ということは、非白人女性は十分に産んでいるという意味か」と批判した。
これに対しブシャール氏は「言葉を曲解している。この私が人種差別者?性差別者?とんでもない!」と自己弁護したが、ここでも“白人のみがケベック人”という意識がかい間見られる一幕であった。

こうした人種・性差別に絡む一連の発言には、その後公平を求める立場からシーラ・コップ副首相が選挙後の国会で再度追及し「正式な謝罪を聞いていない」と詰め寄るなど、今後とも長く尾を引く問題になることは間違いない。

加政府の課題山積
ブシャール氏はパリゾー氏の辞任を受けて次期ケベック州首相になる可能性も大きい。しかし自身の健康問題もあり「休暇中に家族と話し合って決める」と、その進退を一時棚上げしている。“協力的ではあるが政治好きとは言いがたい”夫人や、“レフレンダム(州民投票)”と聞くとペッとつばを吐くという4歳と5歳の息子たちの意向が、国の将来を左右するかにみえるのは面白い。
少差で連邦破壊がまぬがれたとはいえ、今後解決すべき問題が山積みされているカナダ政府は、また新たな正念場を迎える。
「3回目の州民投票を!」と意気込むケベック州を「独自の社会」として受け入れる話し合いや、莫大な赤字を抱える経済の立て直しも急務である。

先の見えない懸念、いら立ち、混乱を交えた気持ちで今カナダ人は、これからの成り行きをじっと見守っている。

日本経済新聞 1995年11月