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カナダの秋、楓の紅葉
2006年度カナダ国勢調査〔人口動態)の結果
心象風景
小泉首相の靖国神社参拝に思う
カナダの辞書



カナダの秋、楓の紅葉


 朝夕の冷え込みを肌に感じながら、抜けるように晴れ渡った青い秋空を見上げる。澄んだ空気を胸一杯に吸うと、体の芯がキーンと伸び、間違いなく迫り来る冬の寒さを予感できる。
すべての木々が綿帽子をかぶり、頭(こうべ)をたれる長い冬の前の一時。カナダの木々は何処もここも華やかな錦の衣をまとう。

人々はこの季節、大自然からの惜しみない贈り物に心を躍らせながら、車をかって山へ、河へ、湖へと出かけて行く。
「燃えるような」という言葉以外に、このカナダの雄大な紅葉を表現する言葉があるだろうか―。

国の国旗に、赤い楓の葉が染め抜かれていることからも想像できるように、確かにこの国には楓の木が多い。
しかし一口に楓と言ってもここには幾つもの種類があり、秋になっての色付き具合もそれぞれに趣を異にしている。
また過ぎさった夏の季節の寒暖も色の濃淡に大きく影響する。一般的には日照りが多く雨が少ない夏だと、水分が不十分なために期待はずれの紅葉になることが多い。
人々の叡智によって発展したテクノロジーで、快適な日々が送れる近代社会でも、こればかりは人間が操作できないようだ。
あるがままの状況を受け入れ、神様のちょっとしたさじ加減に一喜一憂するしかないのである。

北米は9月の第一月曜日が夏の終わりを告げるレイバー・デー(勤労感謝の日)。それまでに休暇に出かけていた人々は戻り、翌日からは子供たちの新学期が始まる。
この日を境に「待っていました!」とばかりに新聞を賑わし始めるのが、紅葉の見ごろとスポット情報である。何しろ広大な面積を持つ国のため、美しい色付きを見られる場所は幾つもある。

例えばオンタリオ州の例を取ると、ここぞと言える場所はざっと数えただけでも十指に余る。
当然ながら、最近はすべての地域のURLが掲載されるため、人々は時間や日時を合わせて北へとドライブしたり、ハイキングやピクニックに出かけたりする。

何といっても言語に絶する美しさを感じるのは、色調の異なる楓、アスペン、唐松、ならの木などが入り混じり、湖面に瓜二つの逆さ絵を映しながら秋の日に光輝くさまではなかろうか。

地域によっては、街を上げて「メイプル・フェスティバル」と銘打ってのパレードなどを執り行う所もある。
そんな場所では、訪れた人の思い出になる品々を売る店もあるが、店主の意気を感じるのは、当地で活躍するアーティストたちの陶芸品、ガラス細工、キルティング、木工品などの手作りの作品が並ぶ店だ。
また秋の味覚満載のアップル、ピーチ、パンプキンパイもある。

加えて、夏から造り置きしたブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、イチゴなどのジャム類。地域によっては、芳香漂う土地のチーズやワインなどもあり、吟味された味が殊のほか嬉しい。

美しい花々と同様に、紅葉の盛りの時期も決して長くはない。冷たい秋風が吹き雨が続けば、容赦なく葉は散ってしまうのだ。

ぶるるっと身の引き締まる季節の移ろい。過ぎ去った夏の思い出を噛み締めながら、束の間の休息に人々は一息入れる。

ゆきのまち通信 November 2007

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2006年度カナダ国勢調査(人口動態)の結果


カナダでは7月半ばに2006年度の人口動態に関する国勢調査の結果が統計局から発表されメディアを賑わした。
ニュースの焦点は何といっても“Aging Society”で、数字やグラフによって否応なしに高齢化社会に変化していく様を伝えた。

日本ほどではないにしても、「長寿」と「少子化」問題はカナダも例外ではない。
日本との比較と言う事で、時々読者から「カナダではどうですか?」といったメールを頂くので、以下に数字を元に幾つかをまとめてみた。

(1)7人に一人
65歳以上のいわゆるシニアシティズンと呼ばれる人々の人口は7人に一人の割合で、13.7%にあたる。
このうち100歳以上の老人は、10万人に一人(日本の割合は23人)の割合となっており、4635人であるが、その内3825人が女性である。カナダも日本と同じに女性の方が長生きをしている。

またカナダ国内でシニア人口が一番多い州は、国の中央左寄りに位置するサスカチュワン州で15.4%で、一番少ないのはアルバータ州の10.7%。

G8の中でのランキングは、日本(20.8%)、イタリア(19.7%)、ドイツ(19.7%)、フランス(16.2%)、イギリス(16.0%)ロシア(14%)に次いで7番目。

日本では「07年問題」と言えば分かるほどに騒がれているべビ-ブーマー(団塊の世代)の退職問題は、カナダの場合ちょっと趣を異にしている。

近年ここでは退職年齢(以前は65歳)というものがなくなり、本人が仕事を続けたければいつまでも働くことは出来るのである。
とは言えそれは法律上のことで、実際にはこの年齢前後でリタイアする人は多い。またもっと若い50代あたりで仕事を辞める人も少なくない。リタイア後の経済的目途さえつけば、後は本人次第と言うことになる。

(2)17.7%
人口に占める14歳以下の子供の割合。
現在はまだ退職する人々の後釜に入り込める若い働き手は十分にいるが、今から9年後の2016年には就労年齢の労働者が、退職者のスポットを埋めることが出来なくなるとカナダ統計局では見ている。

(3)39.5歳
これは人口の年齢中央値を示す数字であるが、今から24年後には44歳に上昇すると予測されている。
カナダは移民を受け入れる国であるため、年齢配分の操作が容易に出来ると思われがちだが、実際はそうたやすいことではないと言う。
つまり厳しい審査を終えてカナダに移住してくる人々は、若くても30代になった年齢層の人が多いため、移民政策によって年齢中央値を若返られるのはそう簡単には出来ないと言う訳である。

(4)結婚を望むなら西へ!
男女の人口比は、25歳まではどの州もほとんどI対Iで平均が保たれているが、25歳以上になると女性100に対して男性95.9の割合になる。
しかしアルバー州は例外で、60歳までの男女比は男性の方が人口過多となっている。これは石油産業などが好調で経済的に潤った州のためか、特に東海岸などから仕事を求めて移住する男性が多い為と見ている。
それに反比例するように、東海岸のニュファンドランド州などでは、男性一人に女性4人の割合と言う。
また都市別に見ると、BC州のウィスラーなども男性の方断然が多いそうだ。
つまり独身の女性は「結婚したければ西へ!」ということになる。

BC州と言えば、首都のヴィクトリアは、80歳以上のシニアが一番多く住む町として有名である。
もちろん温暖な気候や、海あり山ありの美しい景色は何よりもお年寄りにはピッタリ。これはヴィクトリアばかりではなく、島全体、加えてヴァンクーヴァーも同じである。

しかしここには「文化(カルチャー)」が無いとよく言われる。言い換えれば「自然(ネイチャー)」が「カルチャー」であるから、ハイキング、山登り、スキー、ゴルフと言ったスポーツが好きな人にはいいが、本当の意味でのカルチャーが好きな向きには「言いようも無く退屈な場所」との定評がある。

(5)年を取ったら郊外の町より都市部へ
カナダでも郊外にシニアが住むのはいろいろと問題が多いようだ。
何しろ広い国のため都市を離れたら車がなければにっちもさっちも行かない。ミルク一つ買うにも車がなければ身動き出来ないとなると、まだ運転に問題がない年齢の頃はいいとしても、加齢と共に大きな問題が生じ始める。

今回の国勢調査でも、郊外に住む高齢のシニアの問題が大きく取り上げられていた。例えばお年寄り向けの各種サービスを受ける場合、都市部にいれば、食事のサービス、身の回りの世話、部屋の掃除と言った基本的な手助けを受けられ、また何よりも友人たちが気軽に訪ねてくれる。
しかし郊外の町に行くとそうしたサービスは都市部と比べられないほど低く、孤独な独居生活を強いられるという。
つまり車がなければ身動きできないそうした街は、子育て真っ最中の若い夫婦向きで、高齢者には不向きなわけである。

日本でも最近は、子供が巣立って夫婦だけになったら、郊外の家を売って都市部に住む傾向があると聞く。
まだ体が自由に動くうちに将来の計画を立てるのが懸命ということになる。

2007年8月

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心象風景


「ものを書く時の心の原点はどこに?」時にこんな質問を受けることがある。
改めて「心の原点?」と思って考えてみると、ある思い出が心をよぎる。

「君たちの中でお父さんのいない人は手を挙げて、、、」と担任の先生が言ったあの日。小学校一年に入学して間もないクラスでの出来事である。私は何かひどく後ろめたい思いを感じながらおずおずと挙手した。
時代が時代であったから、私のほかにも3人ほどが同じように周りを見ながら手を挙げていた。

「時代」というのは「戦争」である。

終戦を迎える1年ほど前に、赤紙一枚で南方に送られた父の記憶は、乳飲み子だった私には一切ない。
今は誰もが知るように、あの悲惨な戦いの末期、日本の軍部は勝利の見込みがないことを十分知っていた。にもかかわらず、国民を鼓舞して「強靭な軍国日本」の仮面をはがさないことに必死だった。
軍人でもない一市民の、しかも30半ばを過ぎた父も、勝てない戦いであることは十分承知しながら出征して行ったと、後に何度も母から聴かされた。

国民の食料はおろか、戦略物資も底をついていた悲惨な日々の後に日本は敗戦を迎え、政府から送られてきた父の公報には「南方の島にて戦死」とあり、小さな桐の箱には、これまた小さな小石が一個入っていたのみであった。
いつの世でも抗いがたい「戦争」というものは、その戦いの理由を正当化する軍人や政府の要人によって拡大し、善良な市民は翻弄される。受けた苦しみや悲しみは一代で消えないこともしばしばだ。

「〜祖国のために心ならずも戦場に赴き命を落とさなければならなかった方々に対し、心からの哀悼、敬意及び感謝の気持ちを捧げる〜」と耳に心地よい言葉と共に小泉首相は毎年靖国神社に参拝する。

死ねばすべての魂が仏になるという日本古来の考えをもとに、戦争を駆り立てた戦犯も、父のように無意味に死んで行った人も靖国神社には祀られている。
だが今更その戦犯一人一人を摘み出してポイと捨ることが出来ようか。それは十分承知ながら、否、だからこそ、私は首相にお参りをして欲しくはないのだ。

もう靖国はそれを護る宮司に任せてはどうか。そして近隣諸国の思惑云々の視点からではなく、日本は新たな世紀に向け未来志向を育む「世界の平和を祈る場所」を建設すべきではないか?

後から同級生たちの、もっと若い健康な父親が戦争に行かなかったことを知り、成長と共に私は世の不条理というものを知った。
あえて言うならば、女性、老人、子供、身障者、少数民族問題などなどの、人権に関わることに深く興味を持ってものを書く原点は、この理不尽さに対するやり場のない思いではないかと考える。

ゆきのまち通信 March,2006

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小泉首相の靖国神社参拝に思う


長い間、日本国内外で議論されていた小泉首相の終戦記念日の靖国神社参拝が、8月13日に行われた。本来の記念日である15日を避けての行動は、首相の熟慮に熟慮を重ねた結果であったという。参拝を前倒しにした理由については中国や韓国を念頭にしての外交的配慮が主な理由だと、参拝直後に説明している。

自民党内では「苦渋の決断だが、立派な判断だった」と評価する声が出ている一方で、参拝推進派からは「15日でないなら、いつ参拝しても同じ」と、前言を翻した首相への批判が日に日に高まっている。

また公明党などは「参拝は残念だ。終戦の日を避けたことで一定の配慮は見でられるものの、周辺諸国の反発を招くことは避けられない。政府はあらゆる外交的努力をはらうべきだ」との談話を発表し、民主党は「日にちを前倒しにするなど、極めてあいまいで姑息な手段だ」とコメントした。

最初は「私人として参拝したい」と言っていた首相であったが、一国の首相ともなればそうした行動が許されないのは当たり前のことだ。もちろん首相といえども一人の人間であば、自分では「私人」「公人」の区別をつけたつもりでも、周りがそうさせなくなってしまうのが「公人」というものだろう。

私はこの一連のニュースをつぶさに追っていた一人として、また戦争という個人の力ではあらがう事のできない、国家とう権力のもとに戦争へと駆り出されて戦死した父を持つ者として、首相の靖国神社参拝については受け入れがたい思いを持っている。

過去においては鈴木、福田、三木、中曽根、橋本の歴代首相が同じ行動をおこしているが、そのたびに大きな議論を呼んでいるのは周知の通りである。もちろん現在の繁栄を創る礎になった犠牲者たちに、首相が心からの哀悼の意を示すことに全く問題はない。むしろそれは当然の行事として行うべきことと思う。

しかし議論されているように、靖国神社というのが問題で、ここには死刑になったA級戦犯も合祀されているのである。軍隊と言うものが絶対の力を持っていたその社会的背景をもとに、国民を煽動して戦争に突入させた主犯者たちが同じ神社に奉られていることに、私はどうしても納得がいかないのである。

私は靖国神社に参拝したことはない。というより、決してしまいとずっと心に誓ってきた。これは父が軍人でもなく、また36歳という歳になっていたにもかかわらず、赤紙一枚で有無を言わさずに召集され、銃の持ち方も知らないまま戦地に送り出されて死んだことや、その他の多くの戦死者への思いに対する私なりの抗議なのである。

同列には考えられないという意見があることは十分承知しているが、これはドイツにおけるヒットラーを始め、ナチの主導者たちの霊が一同に奉られている教会(もしそういうものがあったとして)に、犠牲者のユダヤ人やその他の戦死者たちが眠っているのと同じに私には思えるのだ。

もちろん靖国神社は、今大戦の犠牲者だけが奉られているわけではない。また日本人にとってのこの神社の意味を充分に理解もしている。だがこの思いは、理不尽に戦死した父を持つ者の理屈では説明できない心情なのである。

去年私は、カナダでの生活を中心に書いた母の半世紀『カナダ生き生き老い暮らし』(集英社)の出版に当たり日本へ行った。その折りに、母を伴い姉とともに山手線の恵比寿駅に近い、防衛庁管轄の研究室図書館、目黒出張所に足を運んだ。

拙著には父の思い出も書き心の整理をしたものの、“小石一個”という形で家族の元にもどった父の最期を、もう少しさぐる手がかりはないものかと思ったからであった。しかしあの戦争のどさくさの後に、一体どれほどの記録が残されているかという不信感は強かった。だが多少なりとも父の匂いをかげる発見があるかもしれないという、一縷の希望があったのだ。

昨年卆寿(90歳)を迎えた母にとっては、60年近い昔のできごとであるにもかかわらず、驚くほど鮮明な記憶を持っていることを頼りに、父が所属した「萩部隊」という軍隊の動向を探りあてた。
「もしや父の名が....」との思いで、判読困難な資料をつぶさに探ったが、残念ながらそこに名前を発見することは出来なかった。だが長い時間を掛け、黄色くなりつつある資料を一枚一枚めくりながらやっと探し出したものには、次のようなことが書かれていた。

「萩旅団将兵は全国から集まったが関東、東北、北陸出身者が多く、昭和19年3月〜6月の間に微召集された将校下士官の大部分は招集者であった。同年6月内地を出発、敵潜水艦を避け『ルソン島』に到着し『マニラ』『セブ』『ミサミス』を経て、前記『ザンボアンガ』に主力を結集したのは『レイテ』決戦の始まる10月中旬であった」(原文のまま)。

父が召集された日付けが多少違うものの、援軍としてここに送り出されたのではないかと想像される。戦後語り継がれる『レイテ決戦』の悲惨さは多くの人が知るところである。これによって父は“やはり”戦死したのだということを、私たち家族は再確認したのである。


小泉首相は、今回のことを踏まえて、戦没者を追悼する国立の施設を検討するため、9月に私的懇談会を発足させることを明らかにした。戦争犠牲者たちを奉る新たな施設の構想を練る方針と言う。
犠牲者たちの霊に誰もがわだかまりなく合掌し、2度と悲惨な戦争が起らないことを祈れる場所の早期建設を心から願っている。

なお付随だが、私は世間が騒いでいるように、靖国神社参拝=戦争肯定、戦争美化という図式は単純過ぎる考えだと思う。

日加タイムス Aug. 24, 2001




カナダの辞書


ベストセラー
一昨年の冬以来カナダで静かなベストセラーを続けているのが1707ページの英/英辞書。題して「Canadian Oxford Dictionary」(CA$43.00)である。

周知の通り一口に「英語」と言っても、いわゆるイギリス英語とアメリカ英語では、アクセントやスペル、また言葉の解釈や言いまわしなどが微妙に異なるものが幾つもある。その理由はさまざまあるだろうが、双方の国の社会、歴史、文化などのバックグランドの違いが、言語にも影響を与えていると考えられる。

ならば同じ北米大陸にある英語の国カナダにも、イギリスやアメリカのものとは一味違ったカナダ英語があって当然で、「カナダ的解釈」の辞書があって然るべきだろう。
むしろ今ごろの出版は遅いとの感さえ抱かせる(簡易なものはすでに2種類ほど出版されてはいる)。

この辞書編集の総指揮を取ったキャサリーン・バーバーさんは39歳の言語学者。90年代初頭に本場イギリスのオックスフォードに行きその方法論を勉強し、カナダに戻ってからは編集チームを組んで、約18ヶ月ほどかけて作り上げた。

当然ながら編集委員には言語学者が多いが、彼らは赤毛のアンなどの東海岸、カナダで一番発展している街トロント周辺、農産業中心の中央平原、ロッキー山脈以西の地域、先住民であるインディアンやイヌイットの言葉などのそれぞれの専門家たちである。

加えて歴史学者、科学者、医者、各界のコンサルタントからカナダの多様文化主義に精通している人々に至るまでが知恵を絞って13万語の収録をした。

Newfie
もちろんこのすべてがカナダ英語というわけではないが、例えばシャベル(shovel)という言葉一つを見たとき、イギリスでは「石炭をすくうもの」という解釈だが、カナダではまず「雪かきに使用するもの」というイメージが湧く。
またベール(bale)はアメリカ英語では「綿」との関連が第一であるが、カナダの場合は「干草、わら」などが一番に上げられる、といった具合である。

もちろんこれはその国や地方の生活習慣の違いが言語の解釈に反映してくる例だが、関係者たちはカナダで出版されているありとあらゆる新聞、雑誌そのほかの印刷物(約二千二百万語)に目を通し、また他国での英語の出版物(約千八百万語)も調べ上げ、カナダ的英語の解釈に役立てたと言う。

当然ながらスラングもまたその国や地方に根付くものが多い。例えばカナダの一番東に位置するニューファンドランド(Newfoundland)は人口60万ほどの州。これを米英の辞書で引けば、地理的な説明のほかは、この土地が生んだ大きな漆黒の作業犬種について書かかれているだけである。だがこの新辞書にはもう一つ踏みこんだnewfieの説明が加えられている。

さてこれはどう言う意味か?
ご存知ない方は是非とも辞書の購入をお勧めしたい。

C・H・S
バーバーさんは辞書編纂という、膨大な量の言葉の整理の仕事で、一番に学んだことは"忍耐"という。

アルファベット26文字の中で最悪のものは3番目に言葉の多い『C』。
これには多くの時間を要したが「まだ『C』をやっているの?」と周りから言われたのが一番こたえたそうだ。

また「編集チームの中には『H』関連の言葉はもう2度と見たくないという人もいたし、一番言葉の多い『S』には半年も費やしたけど、ここまで来たらもうトンネルの向こうが見えたって気がしたわ」と当時を振り返る。

第1版の4万5千部はとっくに売り切れたが、人口わずか3千余万ほどの国でこれほど売れるのはやはり大ベストセラーといえる。

この先10年ほどは改訂版の出版予定はないというが、家庭や知人へのギフトとして購入する人が後を絶たないそうだ。

OCS NEWS No.612 Sep.24,1999